買収重ねて売上1.5兆円、異色の弁護士出身経営者の思考法 ミネベアミツミ・貝沼由久会長
小型ボールベアリングなどで世界トップシェアを誇る、東証プライム上場の精密部品メーカー・ミネベアミツミ株式会社。欧米やアジア各地にも拠点を持つグローバルカンパニーを率いる貝沼由久会長は弁護士出身の経営者だ。持ち前の情熱と弁護士として培った論理力を武器に積極的なM&Aなどで、売上高を1.5兆円にまで成長させた。 日本では弁護士が企業の舵取りをすることは少ない。しかし、弁護士の可能性は広いとして、「弁護士はもっとビジネスの世界へ」とエールを贈る。 取材・文/園田昌也、新志有裕 写真/森カズシゲ (弁護士ドットコムタイムズVol.76<2025年9月発行>より)
高層ビル群が建ち並ぶ新橋・汐留エリアに、空が広がる一角がある。徳川将軍家ゆかりの浜離宮恩賜庭園だ。敷地面積25万㎡を誇り、海水を引き込んだ「潮入の池」で知られる。潮位による趣の変化を楽しむためのつくりで、都内で現存するのはここだけだという。
そんな都会のオアシスの向かいに、ミネベアミツミの東京本部はある。もとは日本通運のビルだったが、同社の移転に伴い2021年に取得した。ビル群と緑、陸と海、港区と中央区の境に位置し、グループ企業も多数入居する28階建ては新たに「東京クロステックガーデン」と名付けられた。
グループを率いる貝沼由久会長は弁護士出身で、積極的なM&Aから「買収王」の異名も持つ。実務から離れて40年近く経つが、弁護士としての経験が今に結びついているといい、弁護士であることの自負が伝わってくる。法律家の身体に、ビジネスの血を引き込んだ稀代の経営者は、弁護士という職能の可能性をどう感じているのだろうか。
●「総論に立ち戻って各論を考える」法学と経営の思考は同じ
弁護士として培われた習慣や能力で、貝沼氏が役に立っているというものの1つが「総論と各論」という考え方だ。
「1つのことを考えていくと、どうしても視野が狭くなっていきます。そして結局、判断に迷う。でも本当は総論・全体像があり、そこに立ち戻って正しい結論を導いていくんですよね。いつも例にあげるのは刑法。一番最初に習うのは刑罰の本質ですね。教育刑と応報刑、2つ議論があってどっちを総論とするかで刑罰の内容が変わっていく。会社にも総論があり、それによって各論が決まります」
企業経営でわかりやすい総論といえば、パーパスやビジョン、ミッションだろう。
「我々の会社には『五つの心得』というのがあります。たとえば、『地域に歓迎される会社でなければならない』。これが頭に入っていれば、公害対策や排水のリサイクル、カーボンニュートラルの取り組みをどうするかといったとき、迷うことなく『やらねば』となる。このビルも、『従業員が誇りを持てる会社でなければならない』ということで買いました。実際に採用面で明らかな効果が出ています。総論と各論は仕事の随所にあります」
細部から全体像を組み立てるときも考え方は似ているという。論理的思考力が問われるのは、弁護士も経営者も同じというわけだ。
「真実がわかるのは神さまだけで、弁護士は証拠に裏打ちされた実体的真実を追求するしかない。その際にいろんなストーリーを考えながら証拠を集め、依頼者の最大利益を獲得していきますよね。会社も同じで、この会社をどうやって大きくしていくか、いろいろな要素を組み立ててストーリーを作っていくわけです」
全体像と細部を行き来すれば、疑問が生まれる。依頼者に質問を重ねて実体的真実を確認するように、ビジネスでも問いをたくさん投げかける。たとえば、工場のラインでトラブルが起きたとき。問いを重ねれば、やがて原因が浮かび上がってくる。全体を描けるからこそ、足りないパーツがわかるし、細かなことにも気づく。
貝沼氏が工場を視察したときの話だ。原因不明の不具合でラインの生産性が落ちていた。工場を見て回り、ほこりを吸い上げる機械に手をかざす。すると、プシューと音はするものの、まったく吸っていないことがわかった。足元のゴミ受けを見るとゴミはたまっていなかった。
「毎日その現場で働いている人たちは、それが当たり前になっちゃっていて見えない。ところが、僕みたいにひょこっと行くと、なんでこんなことしているんだとなる」
文系である弁護士がものづくりの世界で活躍できるのを意外に思うかもしれない。しかし、貝沼氏は「ものづくり自体に理工的な要素は必要ない」と断言する。
「ものづくりって常識で成り立っているんです。大学に工学部はあるけど、製造学はない。開発や設計には専門的なバックグラウンドがいるけど、製造は見ていればわかる。いかに短期間に最高のアウトプットを出せるかという総論から考えれば、どこに気を付けるべきかは決まっているし、質問もできるんですよね」
感性や生まれ備わった特質によるところも大きいのだろうが、このように弁護士に求められる要素と経営者に求められる要素には共通する部分があるという。

●司法試験で学んだ鉄則「成功者をベンチマークに」
貝沼氏が弁護士を目指そうと決めたのは大学4年生のとき。動機は「満員の通勤電車に乗りたくなかったから」だったと笑う。志したのは遅かったが、猛勉強の末、3回目の試験で合格。当時の合格者は年間500人程度だった。
「合格した先輩たちにどうやって受かったのか、あらゆる質問をしました。1日何時間勉強しましたか、誰先生の本を読みましたか、どうやってまとめたんですか——。それで自分の勉強のやり方を決めていった」
うまくいっているものを観察するのは、ビジネスでも鉄則だという。
「会社経営も司法試験の勉強と同じ。どうしてうちはダメで、この会社がいいのかを徹底的にベンチマークしなくちゃいけない。自分の会社とどこが違うのかが浮き彫りになり、次の成長に繋がっていく」
弁護士登録後は、企業法務を中心とする事務所に所属。その後、米国のロースクールに留学し、ニューヨーク州弁護士資格もとった。
現地の法律事務所に勤めていたときに印象的だったのはロビーイングの経験だという。この法律をつくれば雇用がどのくらい生まれる、地域経済にこのくらい貢献できると、パートナー弁護士が上院議員にプレゼンする姿は、日本では見たことのないものだった。今でも海外進出する際は現地におもむき、自ら交渉に当たるという。
ミネベア(当時)には、帰国する1988年のタイミングで取締役法務担当として入社した。義父の高橋高見会長に請われてのことだった。
●ビジネスの現場で磨かれたリーダーシップとサバイバル術
ミネベアミツミは1951年、東京都板橋区に生まれた。創業時の社名は「日本ミネチュアベアリング」で、これが短縮されてのちに「ミネベア」となる。
1960年代に精密機械工業が盛んな長野県に移転、海外市場開拓のため欧米にも駐在員を派遣するなど、世界を相手に業績を伸ばした。1970〜80年代に入ると数多くの企業買収で事業を多角化、日本におけるM&Aの先駆的企業とされている。
ところが、貝沼氏の入社から半年後、カリスマ経営者だった高橋会長が急逝する。
「最初の10年ぐらいは弁護士に戻ろうかな、どうしようかなって、ずっと思っていました。やっぱり会社は面白いけど窮屈じゃないですか。なんかみんなに監視されているような。出張でも1人になることは絶対ないですから。一方、弁護士は事務所に入ってもあまり上下関係がない。最終的に決定するのはパートナーだけど、そこに至るまでは対等に意見を言える。収入だって多いし、自分の時間もあって自由だなと思っていました」
それでも強いリーダーシップで会社を引っ張った義父の姿を思い出し、会社に残る決意をした。
法務としての入社だったが、ビジネス人脈を広げるため営業も担当した。こんなエピソードがある。
「ある会社を訪問したとき、正面玄関から入ろうと思ったら、『そこは入っちゃいけない。業者の入口は別のとこです』って言われて。あれはショックでした」
法律事務所時代は「先生、先生」と丁重に扱われることが多かったのに対し、「業者」として下に見られたり、疎まれたりする経験。「営業が、人間として最低限必要な要素を獲得する訓練になるのは間違いない」と振り返る。それでもめげなかったのは、生来の負けず嫌いだったからだ。
経営者になってからも、ずっと順風満帆だったわけではない。海外工場が水害で被災したり、為替に翻弄されたりと、予期せぬ出来事もあった。しかし、逆境のたびに情熱の力で乗り越えてきた。背負うものの大きさもあったことだろう。
「会社が弁護士と決定的に違うのは、『自分じゃ何もできない』ってことなんですよ。部下がいることもあるけど、弁護士は基本的には自分で戦略を立てて、証拠を集めて、証人尋問もやって、全部自分でまとめられる。でも、会社は1人ではできない。指示することはできるけど、やってもらわないといけない。私はいつも先頭に立って背中を見せる。それからいつも同じことを言う。それで目標を共有する。我々の目標はここだ、ここに行こうぜって全員に知らしめる。つまり、チームビルディングが重要。これはちょっと一般の弁護士と違いますね」
弁護士にはない、経営者に求められる要素として、貝沼氏は予期せぬ事態を乗り越えるサバイバル術とリーダーシップをあげる。生まれつきの素養もあるだろうが、貝沼氏のようにビジネスの実地でこそ鍛え磨かれていくものでもある。
経営者としての貝沼氏は、義父同様に積極的なM&Aで約30社を傘下に収めてきた。そのたびに買収先におもむき、やはり共通の目標・総論を伝えるのだという。ミネベアミツミでは「相合(そうごう)」という表現を使っているが、部門間でシナジーを生みながら、いずれも単体で黒字を達成。売上高は1.5兆円にまで成長した。それを率いる貝沼氏自身もまた、弁護士と経営者の「相合」を体現する存在と言えるだろう。

●法律家だけじゃもったいない 法的な素養、もっと異分野へ
貝沼氏が留学したアメリカでは弁護士出身の有名経営者が少なくない。しかし、日本ではリーガルテックでの起業はあるものの、貝沼氏のように法律とは離れた領域で経営に携わるのはまだ珍しい。
「やはり弁護士の数が足りないんでしょうね。アメリカの弁護士は単なるキャリアチェンジです。だから、1回社会に出てロースクールに行く人が多いし、一定の点数をとれば合格します。でも、日本には法曹のプロフェッショナルを育てたいというポリシーがあって、人数はだいぶ増えたものの、合格者を絞っている。だから司法試験に受かると、法律家がキャリアのすべてになっちゃう。日米で考え方が違いますよね」
弁護士を増やすと言っても、貝沼氏が意図するのは法律家ではなく、法的な素養を生かして他分野でも活躍できる人物を増やすべきということだ。司法試験は事務処理能力や論理的思考力を測る指標として優れている。弁護士出身の経営者だからこそ、その可能性が法律家だけに閉じているのがもったいなく感じる。
「たとえば、官僚になる人も減っている。自分は40年前から上級国家公務員試験(現・国家公務員採用総合職試験)をやめて、司法試験に一本化したらどうかと考えています。いつでも弁護士として在野に戻り、力をつけて霞が関に戻れるというような仕組みにしないと優秀な人が来てくれない。法律の試験だと思うから法律家の道しか見えなくなる。事務処理能力試験の最高峰というぐらいの位置付けでいいんじゃないでしょうか」
●法務はリスク回避役になるな ビジネスでも課題解決を
貝沼氏というロールモデルがいることもあり、社内には法務部の弁護士のほか、ビジネスメインの弁護士も2人いる。1人は航空機の翼の可動部などに使われるロッドエンドと呼ばれる部品の事業部長。もう1人は物流の仕事にかかわっている。
「やっぱり私を見てね、この会社だったら自分もできるかもしれないと入ってきてくれる。先駆者として私がいて、続いてくれる若い人が2人出てきた。もっともっと増えると面白いですね。ビジネスマンとして育てようとする企業が少ないのだとすれば、ぜひうちに来てくださいよ」
弁護士は基礎能力が高く、留学していれば英語力も期待できる。対人コミュニケーションや交渉について改めて仕込まなくてもいい。十分にビジネスで通用すると力を込める。だからこそ、弁護士や法務がビジネスのブレーキ役になりがちなことが物足りない。
「リスク回避型にならないよう、うちの法務部にはいつも注意しています。『ダメだ、ダメだ』じゃないだろう。じゃあ何もしないのか。どうやったらできるか、どうやったらリスクを減らせるかを考えるのが君たちの仕事だろうと。しょっちゅう突き返しています」
決してコンプライアンスをないがしろにしていいということではない。
「我々は上場企業で、公の器です。コンプラはもちろん大事。でも案としてはいろんなものが出てきていい。最初からダメではなく、これもできるんじゃないか、あれもできるんじゃないかと。そこにコンプラという定規を当てたとき、はみ出ちゃうものがあれば、どこを修正すれば大丈夫なのかを判断するということです」
課題解決と会社の株主価値を最大化するため、あらゆる方策を尽くす。それは弁護士の仕事にも通じる。そして、その情熱が事態を打開し、チームの心を動かす。
「訴訟に強い人は機転が利く人だと思いますよ。こういう主張をしてみたらどうだ、ああいう主張をしてみたらどうだといろいろ考えて、中にはちょっと突飛かもしれないけどトライしてみる。そういう人が腕のいい弁護士なんじゃないですか。なんとかしたい、なんとか切り抜けたい。そういう情熱があるからこそ案が出てくる」
●インハウスこそビジネスを 社外弁護士ともっと闘え
貝沼氏は自らも積極的に案を出す。経営者として、「なんとかしたい」と強く思うからだ。だからこそ、社内外の弁護士に「情熱」の不足を感じることがあるという。
「社外の弁護士の多くはビジネスをやったことがない。聞きかじっただけで、本当の経験はしてないんですよね。だから教科書に書いてあることしか言わない傾向があり、リスクをとらない。コンプラ上の境界線があるとしたら、5mないし、10m手前で止めている人も多いのではないでしょうか。弁護士がダメと言ったら経営層は仕方ないなとなりがちです。でも、こっちが弁護士なら、『そこはこう考えるべきでは』と言える。弁護士と議論するのも弁護士が一番いいんです」
貝沼氏はここにこそ、インハウス弁護士の存在意義があるという。そのためにも、もっと現場を知ってほしいと喝を入れる。ビジネスの現場を知れば、提案内容もスピード感も変わるかもしれない。
「社内の弁護士がすべきなのは、『こうすればコンプラの境界線の1m手前まで行ける』というアドバイスだと思うんですよ。それを社外の弁護士と徹底的に闘わせる。でも、実際は社内の弁護士も5m手前ぐらいで『もういっぱいです』となってしまいがちです」
「社内にいる弁護士こそ本当はビジネスの現場にもっと出ていかないといけない。そうでなければ、インハウスと言ってみたところで、社外弁護士が社内にいるだけという話になっちゃうじゃないですか。外部の弁護士はほかのクライアントもいるから、なかなか現場を見られない。実際、いろんな法律事務所を使っていますが、『現場を見せてください』と言われたことは一度もない。でも、社内にいれば現場を知れるし、ビジネス経験も積める。現場を知れば、何が必要なのかがわかる、あるいは経営層の発言の意図がわかってくる」
●オーバーコンプライアンスが情熱を蝕む
ただし、弁護士たちが消極的になるのもわからないではないという。度を超えたオーバーコンプライアンスが社会全体を覆っているように感じるからだ。たとえば、働き方改革。企業は労働時間の削減を求められている。たしかに心身を壊すような働き方には制限が必要だが、それで副業が盛んになるなら本末転倒。もっと社内で働き、自社と社員がともに潤うような仕組みのほうがいいはずだ。
「あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけないだけでなく、こう言っちゃいけない、ああ言っちゃいけないもある。でも会社の利益は上げていかないといけない。この両立は大変なことですよ」
課題を解決したいという情熱は、多様なアイデアを生み出す。しかし、自由な発想、意見がしづらい環境になれば、情熱は萎んでしまいかねない。貝沼氏はかえって「成長に無気力な聖人君子」だらけにならないかと危惧する。
「ガバナンス制度にしても、本来の趣旨は『成長に無気力な経営者』を奮い立たせて、競争力を強化したり、利益を上げたりすることにあるのだと思います。でも、今は突進する経営をなだめることが目的になってはいないでしょうか」
「もちろん、やり過ぎはダメです。ただ、米国には『ビジネス・ジャッジメント・ルール』というのがあって、たとえリスクが大きくても、善管注意義務を満たしたデシジョン(決定)は許容される。コンプラは大事だから法律的に問題があるところを規制するのはいい。しかし、この許された幅を大きく制限する規制をしていませんか」
貝沼氏の目からは、今の日本はあらゆることが近視眼的に決められ、行き当たりばったりに映る。将来のグランドデザイン(総論)がないのだ。2024年には、約70年続く日経新聞のコラム「あすへの話題」を半年間担当し、社会課題について多数の提言もおこなった。
●「よき市民たれ」行動を貫く社会貢献への想い
ミネベアミツミでは、社会貢献にも力を入れている。社会性が高いということは、「従業員が誇りを持てる会社」ということでもある。ここにも弁護士としての貝沼氏のこだわりが見える。
「米国のロースクールに留学した際、会社法の授業で最初に『グッド・コーポレート・シチズン(good corporate citizen:よき企業市民)』ということを習いました。法律ではなく、企業倫理が先に来るところがアメリカのすごさだなと思いました。ところが、我々の会社にも昔から『五つの心得』があった。五つの心得とグッド・コーポレート・シチズンは完全にオーバーラップするものだと思っています。コンプライアンスはもちろん重視するし、あとは企業倫理。利益が出ている中で、少しでも社会に貢献すべきだろうと考えています」
2011年の東日本大震災では、両親を亡くした子どもを対象とした「公益信託ミネベア東日本大震災孤児育英基金」を設立し、100人を超える子どもたちに小学校入学から中学校卒業まで毎年10万円の育成支援金を支給する活動をはじめた。中学卒業時には東京に招いて、祝い金などを授与したという。
新型コロナウイルス禍に見舞われた2021年には、ひとり親の生活困窮家庭を支援しようと、「認定NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ」に計1億円の寄付も実施している。共通するのは、将来の日本を支える子どもたちへの眼差しだ。
「今年11歳と3歳の孫の顔を見ていると、この子たちの時代、日本はどうなっちゃっているんだろうと思うんですね。誰でもすぐわかるのは、人口がすごく減っているということ。でも、少子高齢化についても、みんな今日の生活が精一杯で今のことを中心にしか議論していない」
将来を見据え、2023年には東京クロステックガーデン1階に、ものづくりの面白さを知ってもらうためのミュージアムを開設した。館内には、ものづくりの基本となる自然界の原理原則を学べる体験コーナーやミネベアミツミが製造する部品、それらで組み立てられた自動車などの展示があり、年間5000人超の小学生が社会科見学などで利用している。
最近の日本人に馴染みがあるところでいえば、大谷翔平のように突出した人物が1人でも出てくれば、国の雰囲気はガラッと変わる。ミュージアムがものづくりや技術の世界で突き抜けた人材が出てくるきっかけになれば——。「未来の日本に少しでも貢献ができれば、大変ありがたいことだなと思います」。

貝沼由久(かいぬま・よしひさ)氏
1956年東京都生まれ。ミネベアミツミ代表取締役 会長 CEO。78年に慶應義塾大法学部を卒業し、83年に弁護士登録(第二東京弁護士会、35期)。国内の渉外系法律事務所勤務後、ハーバード大ロースクールを修了し、ニューヨーク州司法試験合格。1988年、ミネベアに取締役法務担当として入社。欧米地域営業本部長、業務本部長などを歴任した。2006年に子会社のミネベア・松下モータ社長に就任。2009年からミネベア社長。ミネベアは2017年にミツミ電機との経営統合でミネベアミツミとなった。2023年より現職。