企業でも法律事務所でも人事の仕事は人を理解することからはじまる〜弁護士キャリア最前線〜
人口の減少に伴い、どの業界も人手不足に悩んでいます。それは法律事務所も同じで、人的リソースはますます貴重なものになっています。そんななか、全国に13拠点を構える平松剛法律事務所が人事の専門家である野田公一さんを迎えました。野田さんは楽天のグローバル人事部長やウォルマート・ジャパンの最高人財責任者を歴任してきた人事のプロ。なぜ法律事務所へ入所し、これから何を変えていくのか、お話を伺いました。 聞き手/弁護士ドットコムキャリア 原田大介 文/是永真人 (弁護士ドットコムタイムズVol.72<2024年9月発行>より)
働く人を支援するため法律事務所に転職
―野田さんのご経歴を教えてください。
大学卒業後は当時の三菱銀行へ入行。在籍中にアメリカでMBAを取得したことで、より経営に近い立場で働きたいと思うようになり、金型を作っているモノづくり企業インクスに転職し、技術以外のすべてを担いました。その後、急成長していたIT企業で自分の力を試したいという意欲が湧き、楽天に入社。最終的にグローバル人事部長を任され、社内の英語公用化などを推進しました。その後はウォルマート・ジャパンやWorks Human Intelligenceの最高人財責任者を経て、2024年2月から平松剛法律事務所で人事責任者を務めています。
―さまざまな企業で一貫して人事のプロとしてご活躍されてきた野田さんが、なぜ法律事務所に入所したのでしょうか。
理由は2つあります。1つは、働く人を支援したかったからです。かつての組織は何よりも企業論理を重視していましたが、いまは働く人が主役の時代です。人口の減少に伴って人的リソースはますます貴重なものとなり、気持ち良く働ける環境づくりやキャリア形成のサポートによって人材を確保することが組織の成長に直結するようになりました。当事務所は「人として、人と向きあう」という理念のもと個人の労働相談や労務対応に注力してきたため、ここでなら働く人を支えていけるはずだと思えました。
もう1つは、人事経験者をリスペクトしてくれる経営者のそばで働ける点にやりがいを見出したからです。多くの法律事務所では弁護士が人事を兼ねていますが、弁護士は法律のプロであって必ずしも人事のプロではありません。代表社員の平松は採用活動などに弁護士の貴重な時間を割くよりは人事の専門家にやってもらいたいと考えていたようでリスペクトを示してくれ、その姿勢に惹かれて入所を決めました。
―法律事務所で働きはじめ、企業とのギャップは感じましたか。
人事がまずやるべきことは先入観を持たず現状を把握し、働く人たちの気持ちを理解することです。私も入所してすぐに全国13拠点をまわって弁護士、事務員の全員と1on1面談を行いました。
面談では主に不満や改善したい点をヒアリングしたのですが、そこでわかったのは弁護士や事務員が法律事務所に対して抱いている想いは一般企業とほとんど同じだということです。真面目で優秀な人材が集まっていて、依頼者の役に立ちたいという気持ちをみんな強く持っている。とてもポジティブな印象を抱きました。
そのため、「一般企業とのギャップはない」というのが私の感想です。敢えて違いを挙げるとすれば、弁護士はその知識と経験で依頼者に適切なアドバイスができるのにも関わらず、人と人の気持ちが混ざり合う組織マネジメントには充分な時間が割けていない面がある、ということでしょうか。ヒアリングの中で組織やチームワークの悩みもいくつか聞きました。ただ、チームビルディングや垣根を越えた連携は企業でも完璧にはできていません。そういう意味でも企業と同じです。
注力するのは情報共有、育成、キャリア支援
―野田さんが加わり、平松剛法律事務所はどのように変わっていくのでしょうか。
人事のプロが入ると新しい人事制度や評価制度を導入するイメージがあると思います。しかし、働く人が主体となり人事に求められるものも変わりました。誰もが気持ち良く働けるよう障害があれば取り除き、環境整備やプロセスの改善を図っていきます。
―具体的な取り組みとして話せるものがあれば教えてください。
具体的には、①情報共有の強化、②若手弁護士の育成、③事務員のキャリア支援、この3つに重点的に取り組みます。
まず、当事務所は全国でさまざまな依頼者に応対していますが、類型化すると似たような事案が多くあります。対応方法を共有できれば仕事の効率が上がるので、ITツールを用いて事務所の垣根を超えた情報共有を活発にしたいです。
次に、当事務所は司法修習生から直接入所する20~30代の弁護士が多いので、計画的なスキル教育を行って「平松に入ればどこでも通用する」と言われるように弁護士の育成に取り組みたいです。また、年齢を重ねると研修などで学ばず経験値でこなしてしまうケースが増えてくるので、管理職研修も実施して組織について学ぶ場を設けたいと考えています。
最後に、事務所内で最も人数が多い事務員に対して多様なキャリアパスを示したいです。例えば、経験豊富な事務員は若手弁護士より特定の分野に精通しています。そこで、事務員も労働問題、交通事故、離婚といった各分野のスペシャリストとして活躍できる道を整備したいです。実は、各分野のマニュアル作成プロジェクトがボトムアップで提案され、いま複数名の事務員が取り掛かっています。事務所全体の意識の変化を感じますし、経験を積めばスペシャリストを目指せると示し、1人ひとりが成長を実感できる組織にしたいです。
―逆に、人事のプロを加えても変えてはいけないものはありますか。
どのような組織にも、その組織ならではの思考プロセスと価値観があります。そのフレームワークは変えない方が良いですね。多くの弁護士は原理原則を大切にし、依頼者から相談されれば法律や過去の事例に照らし合して何が問題なのかを明確にし、その上で解決策を考えています。私もこの思考プロセスに則って分析・提案するよう心掛けています。
事務所と所員の信頼関係をもとに強い法律事務所を作る
―他の法律事務所も人事のプロを雇用するべきでしょうか。
事務所の規模によりますが、弁護士が20名以上在籍して複数拠点ある場合は専門家がいた方が良いでしょう。悩みを相談できる人が1人でもいれば働く人たちの気の持ちようが変わりますから。
―相談相手という意味では、事務所をよく知っている聞き上手なベテラン事務員に任せるのは…
それは良いアイデアだと思いますが、それだけでは充分ではありません。コミュニケーションを図って悩みを解決するのはより良い組織を作るためです。話を聞いて組織の改善につなげられる人がベストでしょう。
これは制度も同じです。コンサルタントに頼めば人事制度や評価制度は3カ月ほどで作れますが、重要なのは制度の導入ではなく運用です。制度を活用して社員の成長につなげることを考えなければなりません。
―人事のプロを迎えずとも、環境改善に向けてすぐにできる取り組みはありますか。
働く人が貴重なリソースだと理解し、年齢や経験を問わずリスペクトをもって接することです。リスペクトの姿勢が信頼関係を生み出します。
そして、外に目を向けて人事セミナーなどに参加し、各企業の取り組みを吸収してみてはいかがでしょうか。ITツールを活用して生産性を高め、誰もが快適に働ける組織づくりを目指すのも良いと思います。
―最後に、全国の法律事務所へメッセージをください。
業界を問わず、人材難は多くの組織が直面している共通の課題です。この課題解決に向けて他の法律事務所の方からも学びたいと思っています。事務所と所員が相互に信頼できる関係を生み、一緒に「強い法律事務所」を作りましょう。
お知らせ
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野田 公一(のだ こういち) 氏
三菱銀行時代に、ハーバード・ビジネススクールに留学しMBAを取得。2004年の楽天入社後は、執行役員マーケティング本部長、採用育成本部長、経営企画室長、グローバル人事部長などを歴任。2016年からウォルマート・ジャパン及び西友で、2019年からはWorks Human IntelligenceにてCHROを務める。2022年から資生堂でChief People Officer、2024年2月より現職。一貫して経営の立場からの人財育成、組織開発に携わる。