「勝訴!」判決を知らせる垂れ幕 いつから始まった?
【本記事は2020年11月24日に公開したものです】判決後に支援者やマスコミに向かって掲げられる「勝訴」「不当判決」と書かれた垂れ幕は、関係者の間で「垂れ幕」「びろーん」などと呼ばれている。この垂れ幕は、いつ始まり、どのように呼ばれているのかを新聞記事を使って調べた。
「ハリ紙」「小旗」「のぼり」・・・新聞記事では様々な呼称
過去の新聞記事を調べると、垂れ幕の存在が確認できた範囲で最古の記事は1968年のもの。山口県で起きた、冤罪をめぐる事件として有名な「八海事件」(1951年発生)をめぐる最高裁判決(第三次上告審)のもので、同年10月25日付朝日新聞夕刊には、手書きで「無罪」と書かれた垂れ幕を持ち、裁判所から出てくる男性の写真が掲載されている。写真は支援者やマスコミとみられる多くの人々が、垂れ幕を持つ男性を取り囲んでいて、キャプションでは、「無罪! 紙を持って廷外に知らせる八海事件の関係者」で、「紙」と表現されている。
記事によると、この日の判決は、強盗殺人罪で起訴された5人のうち、確定した1人を除く4被告に対し、再差戻し審の広島高裁で言い渡された有罪判決を、「決め手となる証拠がない」として覆し、無罪を言い渡した。
判決の垂れ幕は、八海事件の記事では、「紙」と表現されていたが、1970年前後から1980年前半にかけては、「ハリ紙」「小旗」「のぼり」「表示」とさまざまな表現が混在していた。
確認できる範囲で初めて「たれ幕」という表現を使った記事は、1969年11月11日の読売新聞夕刊。「大須事件」名古屋地裁判決を伝えるもので、キャプションには、「"騒乱罪成立"──たれ幕を前に騒然とする法廷外の支援労組の人々」と書かれている。
1980年代後半から「垂れ幕」や「幕」、「紙」などの表記が多くを占めるようになり、現在までその傾向が続いている。一説にある「判決等速報用手持幡」という表現は、現在まで用いられた記事は確認できなかった。
※写真 宮城県・大川小控訴審判決で垂れ幕を掲げる関係者(2018年4月 撮影/渡部真)