ふるさと納税訴訟で泉佐野市勝訴 地方分権の勝利なのに、「居心地の悪さ」が存在する理由<関西大学・木谷晋市教授寄稿>


ふるさと納税制度の指定から除外された大阪府泉佐野市は、この取り消しを求めた訴訟で、大阪高裁では敗訴していたが、6月30日、最高裁は敗訴判決を破棄した。この判決自体は、法令不遡及の原則論に関わる問題で、法律の専門家ではない筆者が論じることはできないが、税理士ドットコム編集部の論考((「ふるさと納税訴訟、国はいかにして泉佐野市に敗れたか 最高裁判決を分析」2020年7月6日)2020年7月6日)にあるように、1990年代の地方分権改革の成果が反映された至極まっとうな内容であると思う。そして、判決に分権改革で制定された条文が明記されたことは、地方分権を追求する関係者にとって大きな励みとなるであろうと思う。

しかしながら、このように画期的な判決であったにもかかわらず、地方の関係者からの反応はそれほど大きなものではなかったように感じられる。その原因は、林景一裁判官が、この判決の補足意見として「私は法廷意見に同調するものである」が、泉佐野市の提訴に至るまでの行動を見るに「眉を顰めざるを得」ず、「上告人の勝訴となる結論にいささか居心地の悪さを覚える」と述べたような事情があるからである。

法律家や裁判所は現行法を前提とするため、解釈や判決は現行法に基づいたものとしなければならず、法自体の問題に踏み込むことは立法論として避けられることになる。しかし、法や政策は政治過程を通じて策定されるために、必ずしも完全なものばかりではない。また、立法時には想定できない事態が起こる場合もある。林裁判官は、補足意見という判決には直接影響を及ぼさない場で、この葛藤を表明したのであろう。また、宮崎裕子裁判長も、同じく補足意見で、このような判決となったのは、2019年3月の改正前の法には欠陥があったからだ、とも読めるような見解を付している。

この点、筆者は法律が専門ではないので、「居心地の悪さ」の原因となる「ふるさと納税制度」の形成過程や、これを基礎づけた「分権改革」の理論的な齟齬を行政学・地方自治論の観点から考察してみたいと考える(最高裁判決を契機とした「ふるさと納税制度」と「地方分権」の再検討・関西大学 木谷晋市)。

目次

  1. 地方分権改革の動向とその効果
  2. ふるさと納税制度の制定と実施の経緯から見た問題点
  3. ふるさと納税制度の混乱に見る地方分権改革の問題点

地方分権改革の動向とその効果


地方分権改革によって制定された分権一括法は様々な偶然的状況の中で成立している。これが進行した1990年代には、「自己決定・自己責任」に基づく「小さな政府」を目指した新自由主義的な思想が広まる中で、「55年体制」が崩壊して複数の政党による連立政権時代に突入すると共に、政治改革や行政改革、公務員改革など日本の統治構造を大きく転換する諸改革が相次いで実施された。また、当時の行政改革については、新自由主義的な思想と親和的なニュー・パブリック・マネジメントと呼ばれる管理手法に関心が集まっていた。これは同じ「管理」を表すにしても中立性、厳格な手続、公平性などの要素を重視する「行政Administration」に代わって、効率性、迅速性、利益重視などの要素が重視される「経営Management」という用語が用いられているように、公的領域に民間企業の経営手法を導入するものであった。

こうした状況を背景に、93年には第三次の臨時行政改革推進審議会最終答申が「行政改革は規制緩和と地方分権」を掲げたことから、経済界、政界、労働界、地方行政関係者など様々な政治アクターの「思い」はそれぞれ異なってはいながらも、地方分権推進が共通した政治課題となった。そして、こうした新自由主義の考え方が広まっていた95年に地方分権推進委員会(以下、分権委)が設置された。そして、当時の首相や官房長官は地方政界出身の日本社会党議員で、それ以外のいくつかの政党の有力な政治家にも地方政界経験者がいたのである。

この偶然的な状況を背景に、分権改革をリードしたのは分権委であり、そこで重要な役割を果たしたのは、分権委委員で行政学者の西尾勝(東京大学名誉教授)とリベラルな学者グループであった。そのグループにおいて、行政学で地方分権と言えば、戦後の地方制度改革やシャウプ勧告に基づく改革が原点であった。戦後改革では、英米型の分権制度が取り入れられたが、国地方の事務分配における概括授権方式、機関委任事務体制、国-府県-市町村のヒエラルヒー構造が戦前から持ち越され、しかもサンフランシスコ講和条約後の「揺り戻し」により集権的要素が拡大した。また、経済成長に伴って行政の役割が拡大した際には、機関委任事務の増大、通達行政の深化、補助金行政の拡大により各省→府県→市町村の上下服従関係が強化されたと考えられ、西尾の研究グループはこれを「新中央集権」と呼んだ。さらに、80-90年代に海外から内需拡大を迫られた際には、地方交付税などの手段で誘導された自治体が地域開発を進めた結果、自治体財政が窮地に陥るケースも見られた。

こうした事態を改革し、地方分権を促進する手法としては、一般に住民自治の確立、地方税財源の拡充、団体自治の確立が考えられる。分権委は改革の「第一歩」として団体自治、中でも統制を縮小して自由度を拡大する改革、すなわち中央官庁が行ってきた必置規制を緩和・廃止すること、補助事業を整理縮小して補助要項・補助要領による補助条件を緩和すること、法令によらない事実上の統制である通達・通知による関与を縮小・廃止することを目指した。具体的な制度改革として、従来の機関委任事務を廃止し、「国の直接執行事務」、「自治事務」、それ以外を「法定受託事務」とした。また、多数の通知や通達は廃止され、国の指示は「技術的助言」に留まるとされた。さらに、関与の標準類型として行政手続法に類似の手続きが法定化され、事実上の関与も制約されたのである。

この意義は、明治以来一体であった地方行政制度と地方自治制度を明確に分離したことである。つまり、法定受託事務も「自治体の事務」であり、自治体は事務の法的な受託機関であることから、機関委任事務を国から下請けする機関と言った行政関係ではなく、法令解釈や条例制定などで自己決定ができる、国と法的に対等な関係になったということである。そして、両者の解釈の対立を調停するため、国地方係争処理委員会(以下、係争委)による調停とそれに不満なら裁判に訴える、係争処理制度が創設されたのである。

だが、こうした「合理的思考ができる自立した個人の自己決定」という近代人の理想型をモデルとした改革は、現実の中では十分に機能しなかった。なぜなら、合理的自己決定のためには国と対等の法解釈能力や専門知識が必要であり、これが実現できる自治体は主として十分な人員や人材を確保できる財政的にも豊かな団体であるからである。こうした状況から、多くの自治体が、法改正に際して「どのような条例の制定や改廃が必要か」を国に問い合わせ、その必要はないとの回答を得て安堵したと言われている。その上、自治体の多くは、自ら求めたとは言え国に「技術的助言」を求め、それに従ったので、機関委任事務廃止前後の行政運営に関しては、現実的に差はないとの観察もあった。

また、法解釈能力をある程度備えた自治体も壁に阻まれた。係争委が必ずしも十分に機能してこなかったからである。この点、新藤宗幸(千葉大名誉教授)は、ふるさと納税を巡る係争委勧告が出る少し前に、係争委について「国地方のシビアな対立を公平に扱うことが期待されたが、実際は門前払いや判断の回避ばかり。」(『朝日新聞』2019年8月27日)と述べている。その点では、泉佐野市の申し立てに関する勧告は画期的であったと言えよう。

さらに、自立を基礎づける税財源の改革は未着手で、後の小泉純一郎内閣における三位一体改革で地方の歳入は一層縮小し、補助金や地方交付税など国の誘導手段は一層効果的になっていた。折しも不況に伴う財政悪化の中で、「自治体経営」の名のもとに各自治体が自立を要請された際にとれる対策は、合併による規模拡大か地域開発等の企業的活動による歳入増加であろう。「平成の大合併」は前者の結果で、住民自治機能は低下する可能性がある。また、地域開発を選択した場合、巨額の財政赤字や借金を背負う場合もある。これを解消するためには住民サービスの削減となるが、自治体の首長や議員は選挙の再選に向けて、住民サービス削減を避けなければならないことから、なりふり構わない歳入拡大の道が模索されることになる。泉佐野市も2008年度決算で財政破綻寸前の「早期健全化団体」となっている。

ふるさと納税制度の制定と実施の経緯から見た問題点


ふるさと納税のアイディアは、過疎化などで税収の減少に悩む自治体が自立化を求められる中で、2006年頃に発表された。その後、当時の福井県の西川一誠知事が、都会に移ってそこで納税している移転者から、育ててもらった「ふるさと」に納税できる制度として提唱していた。法案の検討段階では返礼品などはあまり考慮されておらず、移転額も少ないと考えられていた。このため「税の概念に反する」「都市部は減収になる」などの批判はあったが、「納税者(寄付者)の在住する自治体に、その75%を地方交付税で補填する」等により弊害は少ないとして、2008年第一次安倍晋三内閣当時の菅義偉総務大臣の下で実現した。制度設立当初は返礼品が無いか、あっても地味で、その手続きも煩雑だったことから寄付額は少なかった。しかし2011年度に東日本大震災に伴う純粋な寄付という「想定外」の形で認知度が高まった。また、返礼品も徐々に多様化し、インターネットを通じて利用者数も寄付額も増え始めた。

この寄付額が一挙に拡大するのは、2015年に、同じ菅官房長官の肝いりで制度改正してからである。この改正案の策定段階で、総務省の担当者が、ただでさえ高額所得者ほど恩恵の大きい制度に拍車をかけることになるので改正を思い留まるよう菅官房長官に諫言したが、聞き入れられなかったどころか左遷されたとの報道もある(『朝日新聞』2019年5月20日)。制度改正により寄付争奪戦は激化し、過度な返礼品や地場産品とは無関係な返礼品、商品券などが次々に現れ、特定の自治体が巨額の税の移転を受けた。確かに納税(寄付)の一部は地方交付税で補填され、補填されない富裕な不交付団体は数も限られている。それでも地方交付税の総額には限度がある。また、高額所得者には、多額の税が返礼品としてより多く還元されることになり、税の使い道としては不適切であるし、不公平感も拭えない。

実際、過度な返礼品などが社会問題になり、マスコミなどでもしばしば取り上げられた。このため総務省は、返礼品を寄付額の3割以下、地場産品とするよう2度の「通知」を出し、これに従う意向のない団体を公表し、こうした自治体を制度から除外する法改正の検討を表明した。この結果、多くの自治体は指示に従ったが、泉佐野市などは、「通知」に法的拘束力はないとした分権改革に基づき、過激な競争に突き進んだ。法改正は2019年3月に議決され、6月から施行された。泉佐野市は同法に基づく指定を申請したが除外されたため、係争委に審査を申し出る。この後、周知の経過を経て最高裁における高裁判決棄却、泉佐野市の勝訴となったのである。

ふるさと納税制度の混乱に見る地方分権改革の問題点


分権委が目指した改革は、当時の行政学者や自治体関係者の理想が強く反映している。つまり、機関委任事務の一部を国と地方に分ける分離的手法で対処しつつ、福祉政策など融合的な処理の方が良い部分は法定受託事務として、司法制度の下に置くことで自己決定のできる自治体と国の対等性を確保しようとしたのではないかと思う。これにより、制度的な面では機関委任事務の廃止という画期的な成果を上げることができた。

しかし、ここにおける「あるべき自治体」の姿は、分権委最終報告にもあるように「十分な権限と財源を有し、高度化する行政事務に的確に対応できる専門」性を持つ「自立性の高い行政主体」である。そして、これを理想とする改革は、ある種啓蒙的な「上からの改革」という性格を持っている。このため、現実の自治体は、従来通りの上下関係のままであったり、無理な開発行為によって財政危機を招くことになったりしたように思われる。

また、司法制度が期待通りの公平性を常に確保できるかは別問題である。本件の宮崎裁判長が補足意見で法の不備を指摘したように、法に欠陥があると司法制度では対処できない。しかも、政治主導の強化の下、定員削減やスピード重視を伴う行政改革の結果、欠陥のある法や政策がますます増加している。公務員制度の原点である政治的中立性の観点から、現状を再検討することも必要であろう。
※写真は泉佐野市の千代松大耕市長(税理士ドットコム撮影)

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