第三者委員会の原型のメンバーを体験し、弁護士の職務領域を拡大してきた半生 國廣正弁護士ロングインタビュー

國廣正氏は、町弁としてキャリアのスタートをきったが、ちょっとした縁で第三者委員会の原型となる山一証券の調査委員会のメンバーを務めた。以後 「依頼者はステイクホルダー」との信念を貫きながら、第三者委員会に関わり、「現代の蟹工船」とまでの評価をえた報告書もある。危機管理やコンプライアンスなど、弁護士の職務領域の拡大にも貢献してきた半生を聞いたロングインタビュー。

取材/新志有裕 Interview by Arihiro Shinshi
取材・文/池田宏之 Interview & Text by Hiroyuki Ikeda
國廣 正氏Tadashi Kunihiro国広総合法律事務所 パートナー
(弁護士ドットコムタイムズ Vol.55<2020年6月発行>より)

目次

  1. 民暴事件の縁で山一証券に派遣「暴力団に耐性があった」
  2. 山一証券幹部が思い浮かべた民暴弁護士が社内調査メンバーに
  3. 大激論が起きた大蔵省の関与記述 「国家的犯罪に類するようなこと」
  4. 公表されなかった法的責任調査報告 「依頼者はステイクホルダー」
  5. 現代の蟹工船や女工哀史といわれたゼンショーの調査報告書
  6. 危機管理など続けてきた領域拡大「根幹はファクトファインディング」

民暴事件の縁で山一証券に派遣「暴力団に耐性があった」


「第三者委員会の弁護士業務というのは、従来型の弁護人や代理人業務とはまったく違うものです。企業の全てのステイクホルダーを実質的な依頼者として、不祥事の事実関係と真因を徹底究明し、その結果を公表することで企業が信頼を取り戻して再生する。一番根っこのところの違いが体感できていないと、不十分な調査になってしまう」

経営破綻した山一証券で第三者委員会の原型となる社内調査委員会のメンバーを務め、その後、危機管理やコンプライアンスという新たな弁護士領域を切り開いてきた國廣正弁護士は、厳しい目線を向けながら熱く語る。

國廣弁護士は大分県別府市で生まれた。東大法学部を卒業後、弁護士となり、最初に入ったのは、後に最高裁判事を務めた那須弘平弁護士の事務所。離婚や借地借家などの一般民事を扱いながら、当時住んでいた文京区で大規模マンション建設反対の住民運動の参謀として成果を勝ち取るなどしていた。

妻の米国留学に際し、主夫として渡米。コネがない中で米国の法律事務所にもぐりこみ、訴訟社会を実感して帰国、1994年に独立した。企業事件のイメージの強い國廣弁護士だが、独立当初は「英語ができる町弁」だったという。

「独立した時、弁護士は僕一人、秘書一人。企業の依頼者なんかありゃしない。帰国後に英語の仕事はいくらかあったけど、いわゆる渉外弁護士的なビジネス法務ではなくて、外国人の離婚相談や外資系の銀行でクビになったアメリカ人の代理人になって労働訴訟をやるくらいのものだった」

そういう中で、得意分野があった。

「僕は民暴事件が大好きだったんです。民暴っていうとみんな怖がるし実際に怖いんだけど、生まれ育った別府は温泉街で、やくざだらけなんだよ(笑)。置屋の前を通れば『お兄ちゃん、寄っていかない?』とからかわれ、銭湯には刺青の入ったヤクザが普通にいた。だから、ヤクザに耐性があった」

この民暴経験が、國廣弁護士と企業との関係へつながっていく。1997年当時の日本では、総会屋が社会問題化していた。第一勧銀では、総会屋への利益供与の疑いで東京地検特捜部が捜査に着手。会長が自殺する事態にまで至った。

1997年の夏、四大証券の一角である山一証券は、遅ればせながら総会屋・暴力団対策に本腰を入れようと、第二東京弁護士会の民暴委員会に弁護士の派遣を要請。國廣弁護士は、派遣メンバーの1人として選ばれる。

「直接対応するのは社員だけど、弁護士は隣の部屋に待機して、隠しカメラの映像を見ているわけ。応接室のソファでふんぞり返ってタバコを手に取るのが総会屋の行動パターンなので、灰皿を置かずに『ここは禁煙です』と肩透かしをして、出鼻をくじいたり。終わったあとに、ビデオを見ながら、ワーワー反省会をやる。とてもおもしろく、エキサイティングだった」

山一証券に通い、押しかける総会屋やヤクザ者たちとやり合う日々が続いたが、しばらくすると様子が変わる。
「10月くらいになると、ヤクザ者たちがさーっと引き揚げはじめて、来なくなった。で、ヤクザが山一の社員に『お前たちも大変だな』とか言うわけ。沈む船からねずみが先に逃げるみたいに。沈む船にいつまでもしがみついて警察に捕まったらバカみたいだからね」

山一証券幹部が思い浮かべた民暴弁護士が社内調査メンバーに


11月24日、世の中に大きな衝撃をもたらした山一証券の自主廃業に向けた営業停止が決まり、会見が開かれる。当時の野澤正平社長が「私ら(経営者)が悪いんです。社員は悪くございません」と号泣した時代を象徴する会見だった。実際に社員のほとんどは、破綻の原因となった簿外債務の存在は知らなかった。四大証券の一角だった山一の事業法人部門は、業績をあげようと、「利回りを保証します」という「にぎり」と呼ばれる違法な約束をした上で、顧客企業から資金を預かっていた。だが、バブルの崩壊で資産運用が失敗し、大幅に元本割れする事態に。最初のうちは、顧客企業の決算期に、山一が仲介する形で、別の会社に一時的に引き取ってもらい、表面上損失を見えなくする隠蔽、つまり「飛ばし」が続いていた。ただ、次第に「飛ばし」の受け手がいなくなり、激怒した顧客企業は「どうにかしろ」と山一に激しく詰め寄り始める。

「例えば簿価は100 億円だが、時価が60 億円になっているファンドを、最後に山一が簿価の100 億円で買い取るわけですよ。山一はその後、ペーパーカンパニーを使って、ファンドを海外に飛ばし、見えなくしていたんです。でも、結局損失が消えてしまうはずはなく、ブーメランのように戻ってくる」

最終的に山一が抱え込んだ簿外債務の含み損は2600 億円にものぼったが、それが隠しきれなくなり、山一は突然死する。

「山一の社員に限らず、『会社は永遠で定年まで勤めるのが当然』と思っている時代ですから、社員集会が開かれて大騒動になるわけです。報道では『簿外債務があったらしい』とされているが、社員は何も分からない。実は野澤さんも(破綻の3カ月前の)社長就任時点まで簿外債務の存在を知らなかったので、被害者意識があるわけです。『自分は最後に社長を押し付けられた』という意識もあり、社員の吊し上げもあって、徹底した調査を約束してしまったんですよ」

調査のために立ち上がったのが、不正のあったエリート集団の事業法人部門でなく、個人部門を長く担当していた常務取締役の嘉本隆正氏だった。嘉本チームが徹底調査に向けて動き始める。

「嘉本さんは、強い意気込みで調査を引き受けたものの、具体的に何をやるのかよく分からなかった。そこで、嘉本さんは、『これ法律が関係あるんじゃないの。弁護士が必要じゃないか』と考えた。で、弁護士を探す際、顧問弁護士の名前があがったが、違うだろうとなった。ここで初めて経営陣から独立した『第三者』という概念が出てきた。『第三者』というのは嘉本さんの発想です」

総会屋担当もしていた嘉本氏の頭に浮かんだのが國廣弁護士だった。

「暴力団担当の弁護士である私が、簿外債務や飛ばしの知識があるわけないのだけど、嘉本さんに言わせれば、弁護士だからできるだろうと思っちゃった。調査委員会のメンバーとして、第三者性のある弁護士を探す中で、『暴力団対応をやっている國廣っていう声の大きな弁護士がいたよな』となった」

想定外の依頼に、当初、國廣弁護士は躊躇した。

「僕は町弁でしょ。簿外債務の概念なんかわからんし、証券訴訟もやったことない。証券取引法(現在の金融商品取引法)を見たこともない。そもそも、証券会社が何やってるかも、まあ株を売ってるんだろうみたいなレベルだった」

それでも、引き受けることにした。

「一番大事なのは『山一はなぜ潰れることになったのか』ということなわけです。簿外債務が原因なのかもしれない。でも、社員が知りたいのは、簿外債務の細かい手法以前に、『なぜ簿外債務が発生することになったのか。それは誰がどうやって決めたのか』という事実なんだろうと。社員だけでなく日本国民が『本当のこと知りたい』と言ってるわけです。

依頼されている仕事は、事実を探究して真因まで突き詰めること、つまりファクトファインディングが本質と考えて、『それなら弁護士だからできるぞ』と思ったんですよ」

利回りを保証して損をかぶり、それを隠し続けてきた山一。なぜ隠したのか、開示しようとする動きはなかったのか、経営者は何を考えたのか。そもそもバブル時に利回りを保証するような売り方をした理由はなんなのか。國廣弁護士や調査チームは簿外債務の発生原因と隠ぺいの実態を主眼に、調査を進めた。

大激論が起きた大蔵省の関与記述 「国家的犯罪に類するようなこと」


破綻した企業の経緯を調べて報告書を公表した先例はなかったが、國廣弁護士らは、一つ一つのパーツを集めながら、全体の構図を描いていった。調査委員会の内部で大きな議論になったのは、旧・大蔵省の関与をめぐる記述。当時の大蔵省は、絶大な権威と権力を持つ存在だった。

「(野澤社長の前任の)M社長が、大蔵省の証券局長のところに行った際、M社長が『どういたしましょうか』とか聞くと『他の証券会社は海外に飛ばすそうですよ。お宅はどうするんですか』って言われたというんだよ(笑)」

この事実を報告書に盛り込むか、調査チーム内部でも議論になる。

「ずいぶん悩みましたよ。名誉棄損になる可能性があるし、相手が大蔵省で、しかも局長ですから。でも、Mさんは事実だと主張するわけです。証券局長は否定するでしょうが、『別の証券会社は海外に飛ばすそうですよ』なんて話をMさんが創作できるかと言う話ですよ。Mさんの話には続きがあって、2回目に行った時、『私どもは海外に飛ばすのは自信がございませんので、国内で処理することにいたしました』っていうと、証券局長が『ご苦労様でした。一相場あれば(含み損が解消されて)解決ですよ』って言ったという話もあったんです」

録音があるわけではなかったが、とても捏造とは思えない具体的で迫真の内容だった。大蔵省の関与は調査報告書に書き込まれた。他にも野澤社長が後任の証券局長に助けを求めた際、最初は「助ける」と明言していたのに、ある日突然「自主廃業せよ」と言われた話も盛り込まれた。大蔵省関与の記述にこだわった理由を、國廣弁護士はこう振り返る。

「大蔵省が黙認しているというのは極めて重要なことですよね。国家的犯罪に類するようなことですから。最近の不良第三者委員会だったら、『われわれは簿外債務の調査を依頼されただけで、国との関係の調査は依頼されていません』って言って書かないかもしれませんけど」

こうして、調査委員会の報告書が完成、1998年 4月に公表された。違法な約束に端を発し、顧客の損失を引き取る判断をして、株価相場の回復を待ちながら、隠し続けてきた山一。その間に開示しようという動きもありながら、その都度経営サイドがつぶし、大蔵省も先送りを黙認していた。日本企業の不祥事に共通する部分をリアルに書ききった報告書は大きな反響を呼ぶことになる。

「調査はできることを全てやりきった自信があった。でも、調査報告書が世の中的に評価されるかどうかは、すごく不安だった。でも、公表後はあらゆる新聞の一面トップを飾り、日経金融新聞は調査報告書を全文掲載した。日本経済新聞が『歴史に残る報告書』と評価してくれたのは嬉しかったです」

公表されなかった法的責任調査報告 「依頼者はステイクホルダー」


國廣弁護士の山一での仕事は社内調査委員会での事実の調査報告で終わらず、次に責任者の法的責任を検証することになった。「法的責任判定委員会」である。その結論は、「旧経営陣10人に責任がある」「粉飾決算を長期にわたって見逃した監査法人にも責任がある」というものだった。しかし、この報告に山一側が猛反発する。

「法的責任判定の報告書を提出したら、山一側は『こんなものはいらない』と言うわけですよ。主犯格の2人か3人が悪いと言う程度の禊(みそぎ)をして穏便に事を収めようと思ったら、10人アウト、監査法人もアウトという結果でしたから。『そんなことまで頼んでいない』って言い始めたわけですよ」

この判定報告書の公表は、山一だけでなく、委員会のメンバーにも難しいと言われた。

「ステイクホルダーなんていう言葉はない時代でしたが、私は『世の中に対する約束に基づいて調査をしてるんだ。だから判定委員会が調査結果を公表するのが当たり前』と主張しました。会社側は『依頼者は会社である。よって公表するなと言えばそれに従うのがお前たちの忠実義務だ』こう言う(笑)。判定委員会のメンバーの中からも、『國廣さんの言うことは理念としては正しいけれども、今の法律論からすると依頼者が隠せという以上、我々が開示することは守秘義務違反になりかねない』といった意見が多数だった」

結局、法的責任判定委員会の報告書は公表されず闇に葬られ、國廣弁護士は悔しい思いをする。この経験が、制定に携わった日弁連の「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010年)に生きている。

「企業が不祥事を起こして世の中のバッシングを受けて苦しい時に、第三者委員会を立てて、その場をしのごうとするわけです。そうするとマスコミはおとなしくなる。でありながら、第三者委員会が厳しいことを書くと、『依頼者は会社』という理屈で公表しない。まさに山一と同じ状況になる。だから、ガイドラインの中に何と書いたかというと、依頼者はステイクホルダーである以上、現経営陣の不利益となることでもちゃんと書かないといけないし、公表もしないといけないよ、という条文を入れたんですよ」

現代の蟹工船や女工哀史といわれたゼンショーの調査報告書


國廣弁護士が携わり、2014年に公表された牛丼チェーン「すき家」などを展開するゼンショーの第三者委員会(久保利英明委員長)の調査報告書も大きな反響をよんだ。「2回転」と呼ばれる48時間連続勤務が珍しくなく、「居眠り運転で交通事故を3回起こした」「20キロやせた」との生々しい従業員の声も盛り込まれた報告書。ある弁護士は「『蟹工船』や『女工哀史』に匹敵するほど、過酷な労働環境の記録として、貴重」と評した。國廣弁護士は振り返る。

「ゼンショーは『世界から飢えをなくす』ことを本気で掲げて、学生や低所得の人にも栄養のあるおいしいものを、合理的な価格で、24時間365日提供したいということが理念だった。それに、共感する同志が集まり、身を粉にして働くというビジネスモデル。ただ、店舗が200から1000に、1000から2000になった時に、そんな同志は現場にはほとんど残っていなかったのです」

ゼンショーの当時な過酷な労働現場は、役員たちも認識していた。

「会社の中枢にいる人たちは『俺たちは48時間働いても、平気だ!』『頑張って2回転した先に素晴らしいものが待っているぞ!』と本気で言う、ある意味、信念のある人たちだった。でも、間違っているんですよ。働いている人たちのことを考えていないでしょと。そこに経営陣の決定的な認識の欠如があったというのが、ゼンショーの事件の本質なんだけれども、そこまで追及して書きましたね」

報告書には、社員や役員の生のインタビューが記載され、「蟹工船」や「女工哀史」に連なるリアリティをもった報告書につながった。

「何でもかんでも生のまま出せば良いっていうものではないけれども、肉声というか、生の部分が必要だと思う。よく言われますが、第三者委員会報告書には、公共財としての価値があると思うんですよ。一つの会社の不祥事の真因究明なんだけれども、別の会社の人が読むことで『あっ、うちもこういう要素はあるな』と思うのではないでしょうか。第三者委員会報告書というのは、対外公表されることで公共財になり、素晴らしい教材になる。日本企業全体のコンプライアンス水準を上げる公益的役目を果たし得るんです」

第一人者としての自負と熱い思いがあるからこそ、國廣の近年の第三者委員会に向ける視線は厳しいものがある。弁護士の新しいビジネスとしての第三者委員会という批判がある中で、続ける。

「ビジネスとして成り立つためには、顧客企業がいないといけない。企業からすると、痛い手術は嫌なんですよ。だから、法律事務所が、企業と阿吽の呼吸で、『一応悪かったです』というところで、寸止めしてくれるのが一番だし、一見すると共存共栄できますよね。でも、それで損をするのは、ステイクホルダーになります。寸止めで真実が明らかにされていないから、不祥事がまた起きて、企業価値がさらに低下するわけです。不祥事を繰り返す東洋ゴムや東芝がそうだったのではないか」

不十分な第三者委員会調査に対して、國廣弁護士は、弁護士側に問題があるとみている。

「第三者委員会型の弁護士業務というのは、従来の代理人業務とはまったく違うもの。ステイクホルダーを実質的な依頼者として、今の経営陣には厳しいかもしれないけれども、市場のために公開外科手術を行う、その結果として企業が再生するわけです。第三者委員会の業務は、公認会計士業務に似たところがある。不適正であれば、不適正意見を書くのが第三者委員会の責務なんですよ。多くの弁護士はここのマインドチェンジができていないのではないか」

國廣弁護士は、2014年以降、「第三者委員会報告書格付け委員会」の委員として、ルーズな第三者委員会報告書に厳しい意見を投げかける活動もしている。

危機管理など続けてきた領域拡大「根幹はファクトファインディング」


國廣弁護士は、第三者委員会のほかにも、企業の危機管理、コンプライアンスなどの仕事でも知られる。いずれも従来の弁護士の職務領域として認知されていなかったところに、職域を拡大してきた側面がある。職域拡大のコツについて聞くと、「僕は自身の経験しか語れない」と断った上で、こう続ける。

「20年以上前に、危機管理の仕事をやろうとしたとき、周りから『コンサルの仕事でしょ』と言われたことがあった。修羅場が好きなのもあるんだけど、危機に遭ったとき、危機のファクトをしっかりと把握し、原因を究明し、その原因を除去するということが、本当の意味での危機管理ですよね」

第三者委員会にも危機管理にもコンプライアンスにも通じる、弁護士の本来業務があるという。

「全部、根幹はファクトファインディングだよね。これが、弁護士の本業じゃないかと思う。僕は不祥事が起きたら事実を徹底究明し、発生原因を考え、その原因をなくすためにどうすれば良いか考える。『ファクトファインディング』以外にも、『原因分析』『論理的な説明』も弁護士の本分です。これらは、修羅場にいけば危機管理になる。不祥事予防にいけばコンプライアンスになる。危機管理の中の一つの特殊分野が、第三者委員会と呼ばれるものになる」

その上で、國廣弁護士は目新しいものに飛びつく行動を戒める。

「例えば、『〇〇法をやります』と言ったところで、法律を勉強するだけではそれが実際の事件にどう結びつくのかは分からない。飛び地をつくって、新しい分野をやろうとしてもうまくいかないと思います。弁護士の本業を一生懸命やっていると、場面ごとに自分の領域の一歩外に出る必要が生じる。その部分なら、地に足がついた状態で、領域を広げられるのではないでしょうか」

その上で、國廣弁護士は訴訟の重要性についても強調する。國廣弁護士の事務所は、新聞紙面を飾るような大規模な企業案件が多い事務所でありながら、自身の事務所の若手には「離婚でも借地借家でも一般民事を真面目にやれ」「訴訟をやれ、尋問までやれ」と繰り返し伝えるという。

「訴訟というのは、弁護士を鍛えるまたとない場だと思っています。愚痴ばかり言う離婚事件の当事者の話をよく聞いて寄り添いながらも『あなたの言っていることは、必ずしもそうではないんだよ』ということを、どうやって納得させることができるか。そういうことを、一生懸命考え、取り組んで、自らを鍛える。これは、いずれ大企業の社長を説得する力にも通じます。僕自身が大きな機械の一部品になりたくないタイプですが、全体像が見えないと部品にもなれない。実感を持って、自分が主体的に問題を解決した、あるいは失敗をした経験が重要だと思います」

國廣弁護士は、今日も事実ファクトファインディングを武器に、ステイクホルダーのための活動や若手弁護士の指導に邁進し続けている。

Profile∣國廣 正氏 国広総合法律事務所パートナー。38期。1986年から1990年まで、那須弘平弁護士(その後、最高裁判事)の事務所勤務。内閣府や消費者庁の法令顧問を務める。「企業不祥事を防ぐ」(日本経済新聞出版社)、「修羅場の経営責任」(文春新書)など著書多数。
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