その「開拓者精神」が日本を変えた 覚悟と挑戦の半世紀 久保利弁護士ロングインタビュー

日本企業変革のスーパーバイザー、司法制度改革・一人一票実現国民会議の旗手、コーポレート・ガバナンスの第一人者ーその異名の数が彼の偉業の数々を示している。久保利英明(くぼり・ひであき)氏。その開拓者精神で、弁護士業界に次々と新たな常識を築き上げてきた半生から、若手弁護士に伝える弁護士としての「魂の継承」。混沌とした現代社会において、弁護士はこれからどう生きていくべきなのか、そのヒントを伺ったロング・インタビュー。
日比谷パーク法律事務所 代表弁護士 久保利英明氏 Hideaki Kubori
(弁護士ドットコムタイムズ<旧・月刊弁護士ドットコム>Vol.1<2015年10月発行>より) 

目次

  1. 目の前に広がるブルーオーシャン若者よ、未来は君たちの天下だ
  2. 立ちはだかった「逆境」 その先に大きなチャンスがあった
  3. 挑戦する勇気を支えた「覚悟」 その信念が日本の歴史を変えた
  4. 示し続ける開拓者精神 受け継ぐべきはその「魂」

目の前に広がるブルーオーシャン若者よ、未来は君たちの天下だ


もしもですよ、と前置きをして久保利氏は語る。

「もしも僕が 45 歳くらい若返って、いまピカピカの弁護士としてデビューしたら、『古い弁護士たちはバカだな。みんな大事なところを掘り下げずに弁護士業を続けて年寄りになっちゃった』『久保利と言ったって、結局はこの程度か。まだ誰も手を付けていない分野がこんなにいっぱいあるじゃないか。これからはオレたちの天下だぞ』って言うと思いますね」

この言葉は、弁護士業界には未開拓な荒れ地が、言い換えるならば弁護士にとってのブルーオーシャンがまだまだ広がっている様子が久保利氏の眼に映っていることを示す。そのメッセージが強い説得力を持つのは、久保利氏自身の手によって、弁護士の新たなフィールドを開拓し続けてきた長い歴史と実績があるからだ。

「弁護士はなんでもできるんですよ。

法廷に行かなければ仕事にならないなんてことはなくて、(確かに弁護士は法廷に行くことはできるけれど) 行かない仕事もたくさんある。依頼者を抱えてその人のために仕事をしてもいいし、社会運動に身を投じたっていい。自分が『面白そうだ』と思った分野で仕事ができる、それが弁護士という職業なんです」

久保利氏の半生は、誰も気が付かない潜在ニーズを顕在化することで顧客満足を集めてきた歴史でもある。

その第一歩は 1973年、弁護士登録して2年めに早くも訪れる。

「最初に入った森綜合法律事務所(※注1)の先輩弁護士たちに囲まれながら修行して2年、誰も手がけていない分野を見つけたんです。芸能界ですね。

吉田拓郎、井上陽水といったミュージシャンたち向けのリーガルサービス、この分野は誰もやっていなかった。

しかも彼らとは同世代ですから、『先生!』というよりは『久保利さん、一緒に飲もうよ』といった感じです。 現在の若い弁護士さんたちが若いベンチャー企業の経営者とともに会社をどうするかと考えていくような付き合いができて『この分野なら先輩たちには負けないな』と思ったんですね」

当時、芸能界は暴力団が根深く関与していた。興行、イベント、商品化……その活動のために彼らの手を借りずには運営できない状況下にあった。

久保利氏はフォーク業界と芸能系の上場会社から暴力団の排除を目指し、活動を始め成果を上げていく。

「こういった新しい分野をどんどん見つけていけば、なんとか弁護士としてやっていけるだろう。そう自信が持てました。そもそも弁護士業というのはニッチ産業なんですから。

実際に使う知識やテクニックといった、弁護士としての能力は一所懸命勉強し、修行してきた。最初の1〜2年、半分泣きたい気持ちでやって来たわけですけど(笑)、そのときの経験が活きていった。

あとは方向性や事業分野、ターゲットをどうするかを考えればいいわけです」

立ちはだかった「逆境」 その先に大きなチャンスがあった


入所した森綜合法律事務所の主力業務は倒産案件だった。久保利氏は入所以来、約 10 年にわたって多くの倒産案件を手がけることになる。

「森綜合法律事務所には早川種三(※注2)という『会社再建の神様』と呼ばれた先生が、 森良作先生(※ 注 3 )といつも一緒にやっておられました。会社更生や和議、特別清算といった倒産法がらみの分野を二人三脚でやっていたんです。

森綜合というと今では何百人もの弁護士がいますから、最初から一部上場企業の顧問がいっぱいあったように思うかもしれませんけど無いんですよ。もともとは 倒産弁護士なんです。

当時は倒産案件をものすごい数抱えていた。これはみんなでやるしかないというんで、私もたくさん経験させてもらいました。これが10年間続いたわけですね」

久保利氏が弁護士になった1971年から約10年。80年代に突入した日本に変化の時が訪れる。

国内全体の産業基盤が強固になり、企業経済が安定してくる。その結果、89年のバブル崩壊までの約 10 年間、日本は空前の好景気を迎えることになる。ところが皮肉にもこの好景気が、久保利氏を取り巻く環境に変化をもたらした。

「景気が良くなったおかげで企業が簡単に倒産しなくなりました。

倒産事件は減り、また難しい倒産事件も解決していってしまう。時代が良くなりますから、会社更生で立ち直ったりするわけです。

そうなると、どうなるか。

『倒産弁護士が倒産する時代が来た』なんて冗談がささやかれるような状況が訪れたんですね。これはなにか次のことを考えなければならんと思っているちょうどそのとき、1981年に商法が改正されたんです」

またしても久保利氏は、弁護士業界のブルーオーシャンを開拓していく。

さらに付け加えるならば、ここで手がけた新たな挑戦が、日本企業、ひいては日本の経済社会に革命をもたらしていくことになる。

挑戦する勇気を支えた「覚悟」 その信念が日本の歴史を変えた


「商法改正で総会屋を叩き出すことになるというわけです。これから倒産分野は大変なことになるぞと頭を悩ませていたときでしたから、まさに『来た!』という感じでしたね」

久保利方式−。久保利氏が開発、後に多くの企業、弁護士が取り入れたこの画期的な株主総会運営ノウハウが、日本から総会屋を一掃することになる。「総会屋対策というのは、ある意味で倒産事件の処理の仕方と非常に似ているんですよ。

たとえば倒産事件の際には債権者集会というのが必ずあって、荒れるんですね。

でも、倒産の債権者集会は必ず2時間で終わる。 なぜかというと、2時間しか会場を借りていないからです。倒産するような貧乏会社なので、会場を1日借りることなんてできないわけです。

ですので『ご不満はお有りでしょうが、今日はこれでおしまいです』と打ち切ることになる」

そこで久保利氏は考えた。

なぜまともな会社の株主総会が10時間も掛かるのに、本来荒れ狂うはずの債権者集会が2時間で終わるのか−。

「そう考えてみたら、打ち切ればいいんだと気がついたわけです。

打ち切らずに付き合うから、10時間も場合によってはそれ以上も株主総会が終わらないんだと。

株主総会の運営は難しいとみんな言っているけれど、これは本当は簡単な話だなと」

久保利氏は株主総会の新しい運営シナリオ作りに着手する。並行して抱えていた多くの企業案件の際に接する経営者や法務担当者の声に耳を傾け、大いに意見を取り入れながらノウハウを構築していった。

「新しいことを始めたわけですから、どこにもプロトタイプなんて無いわけです。ゼロからサービスを作っていくうちに、『そういうやり方は従来と違うからダメだ』『そういうシナリオは前例にない』といった声が聞こえてくるんです。

ダメだと言いますけど、そんなもの昔と違って何が悪いと。

法律が変わって、それまで総会屋に上場企業が多額のお金を配っていたものを、1円も払わなくなるわけですから、そこは従来とは違ったやり方になって当たり前ですよ」
 

久保利方式が広く受け入れられ、企業が導入していった理由として、細やかな指導要領が存在したことも挙げられる。

ただシナリオを作るだけではなく、どのような会場設営が必要か、2時間で株主総会を終えられるかという、舞台作りにまで配慮された作りになっているために、運営者はそのまま導入することができた。

「法律論の話よりもプロデューサー的な視点が必要でした。総会プロデューサーになるようなものですね。これは僕の得意分野ですから」

また、作り上げたノウハウは惜しみなく公開し、啓蒙していった。

数多くの出版、弁護士会での講演などで多くの弁護士に新しい手法を伝道する活動を続けた。「中には『ビジネスモデル特許を取り、著作権を主張したらいいじゃないか』という人もいたけど、そうじゃないんです。

僕の金儲けのためではなく、弁護士全体が社会正義を追求していくためのツールですから、これはみんなに使って欲しいんだと。

だからどんどん本を書いたし、弁護士会で講演もしたし、みなさんこれでやってくださいと。社長もラクですからと」

その結果、多くの弁護士がその手法を学び導入していくことで、企業が救われていった。

そのころ、約8千人から1万人の総会屋が存在したと言われ、被害額は1千億円を超えるとの試算がなされていた時代だ。

「当時、弁護士が約1万人。全法人からの収益が業界全体で約1千億円と言われていました。ほとんど総会屋と同じ規模ですよね。

弁護士は仕事をするのに総会屋はなんの作業もせず 『お宅には行かないよ』と言うだけで上場会社からお金がどかっと入ってくる。これは不健全ですよ」

これだけの市場規模を一掃しようと乗り出した久保利氏には当然、身の危険が振りかかる。ときには防弾チョッキを着て総会に臨んだこともある。それでもなお、無事に乗り切れたのは、多くの弁護士が同調し、久保利方式を採用したからだと語る。

「これがもし、私しかやっている弁護士がいなかったら、『久保利を殺してしまえば大丈夫だ』と狙われたかもしれない。

でも、多くの弁護士が取り入れてくれたおかげで、 久保利を殺しても無意味だ。どんどん他の弁護士が出てきてしまうと、ギブアップしたんだと思っています」

また、たとえ命を狙われる結果となっても、信じた道を突き進む「覚悟」。これもまた、闇社会の魔の手から久保利氏の身を守ったのは想像に難くない。

商法の改正と久保利方式の普及。これによっていま、日本から総会屋は一掃された。

示し続ける開拓者精神 受け継ぐべきはその「魂」


久保利氏は2015年で弁護士生活45年目を迎えた。弁護士業界の重鎮として押しも押されもせぬ存在となった現在でも、精力的に新しい分野を「発見」し「開拓」し続けている。

司法制度の改革や一人一票実現国民会議での活動、エンタメ・ロイヤーズ・ネットワークの創設と、その勢いはとどまるところを知らない。

「僕はこれまでいろいろな分野に挑戦してきました。若い弁護士さんたちは、それらの活動に追随してくれなくてもいいんです。そんなことより、自分で新しい分野を新しい発想で開拓していってほしい。

僕は弁護士としての物の考え方やニーズのありそうな分野の探し方を示しただけであって、それをベースに違う考え方で、違う領域を探してほしいんです」

たとえばいま、ミャンマーに注目する国内企業は数多い。しかし、ミャンマーの法律に精通した弁護士は果たして日本にいるのだろうか。ミャンマー語を操り、 現地の役人と1対1でやりあえる弁護士はいるだろうか。弁護士としての新しいビジネスの種は、いろいろなところに転がっている。

「僕がこの年齢でミャンマーの言葉をこれから覚えるのはキツイのでやりませんが(笑)、困っている方はたくさんいらっしゃいますよ。

もちろん苦労はあると思います。なんといっても誰も手がけていないフロンティアですから。でも狙われることはないだろうし、命までは取られないでしょう」

弁護士が活動できる領域・可能性は、無限に広がっていると久保利氏はその行動と背中で示し続けてきた。その信念は一貫してブレたことはない。

「これからの弁護士に必要なのは、潜在顧客が抱えている潜在的なニーズを読み取って、提示することです。

iPhone が登場するより前、誰がスマホなんて欲しがりました?スティーヴ・ジョブズは顧客アンケートなんて取りましたか?顧客のことを考え抜いた末『これだろ?』とジョブズが出してきたのがiPhone ですよ。

弁護士の潜在顧客も同じです。『こんなことまで弁護士さんはやってくれるんだ』そう気づいていない分野はまだまだたくさんある。

弁護士業は闘争業でもあります。困っている依頼者を引っ張って戦わなきゃならないのに、メソメソと『メシが食えない』って泣いていたら依頼者がついてきてくれるはずはないでしょう。チャンスはたくさんあります。新しい分野に挑戦するべきです。

同時に弁護士は社会的なインフラでもあります。社会の役に立つ存在でなければ価値はないんです。皆さんのこれからの活躍に期待しています」

正義感とフロンティアスピリット、そして弁護士として生きていくという強い覚悟。華麗な業績の裏には信念に貫かれた熱い魂があった。

久保利氏が切り拓いてきた地平の彼方には、まだまだ豊潤な沃野が広がっている。

※注 1 森綜合法律事務所 80年代に倒産分野を中心に業務を展開し成長、大手渉外事務 所のひとつに数えられるようになる。2002年、濱田松本法律事務所を統合。2005年にマックス法律事務所を統合。現、森・濱田松本法律事務所。

※注 2 早川種三  1897 年、宮城県生まれ。日本特殊鋼(現・大同特殊鋼)・佐藤造機(現・三菱農機)などの管財人を務めるなど、戦後数々の 大型倒産において管財人として企業再建に取り組み「会社再建の神様」と呼ばれた。1991 年没。

※注 3 森良作 1949 年、森・濱田松本法律事務所の前身である森良作法律事務所を設立。1970 年に森綜合法律事務所に改称。国内訴訟業務を基盤としつつ、幅広い国内外企業法務においても業務分野を拡張し、高い評価を集めた。

Profile|久保利英明氏 1944年、埼玉県生まれ。弁護士。東京大学法学部卒業。1998年、 日比谷パーク法律事務所開設。総会屋を一掃する「久保利方式」 を開発、株主総会を一般株主の手に取り戻す。過去「日経ビジネス」 の「企業が選ぶ弁護士ランキング」4年連続第1位を獲得。專門は コーポレート・ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス(法令遵守)、 株主総会運営等。第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副 会長、日本放送協会「職員の株取引問題に関する第三者委員会」 委員長、企業などの第三者委員会委員を歴任。大宮法科大学院 大学教授の後、桐蔭法科大学院教授を務める。著書多数。
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