坂和 章平 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
1967年4月から大学生活に入り、3年近く学生運動に没頭した私にとっては、民間企業に就職し、いわゆるサラリーマンになるという選択肢は全く思い浮かばなかった。また、公務員という発想も全くなく、「さあ、どうしたものか?」と考えていた時、急に司法試験を目指して猛勉強を始めた優秀かつ親しい友人の姿をみて、「俺もこれだ!」と確信した。
弁護士になれば何でも自由にできる、やりたいことを好きなようにできる、逆にやりたくないことはやらないことができる、だから何が何でも弁護士に、と確信した。
もっとも、それまでの3年間は学生運動関係の勉強だけで法律関係の勉強はゼロに近かったから、民法総則の「禁治産者」という言葉を知ったのも司法試験をやろうと考えたときから、というありさまだった。そんな中、1970年1月26日、21才の誕生日に我妻栄「債権総論」を古本屋で購入し、そこから一人ぼっちの孤独な司法試験の勉強が始まった。
最初は全然わからなかったが、憲法・刑法・民法の短答式3科目に限定して、1日8時間程度の勉強に専念。結果的に以降約1年半の勉強で司法試験に合格することができたが、その最大の理由は、学生運動をやっていた時にビラを書くことと演説でしゃべることの訓練ができていたためだ。
また、高校時代のおしつけ的な受験勉強ではなく、あくまで主体的に興味を持ち、自分なりに問題意識を整理したうえでの自分流の勉強のやり方が確立していたためだ、と確信している。
仕事の中で嬉しかったこと
弁護士になって嬉しかったこと(「はじめて」づくし「ベスト10」)
①はじめて、私を頼って依頼者が事件の相談にきた時
②はじめて、自分の「事件」で依頼者からお金をもらった時
③はじめて、大阪地裁大法廷の晴れの舞台で、証人の反対尋問の大役を担当した時
④交通事故の業務上過失致死被告事件で3年半水戸地裁龍ヶ崎支部に通い、大変な苦労の末に無罪の判決言渡しを聞いた時
⑤独立後はじめて、裁判所から「破産管財人を頼みます」という電話がかかってきた時
⑥弁護士1年目で共同で書いた私の論文が、はじめて法律雑誌に載った時
⑦はじめて共著した、『苦悩する都市再開発』(都市文化社・1985年)が出版された時
⑧はじめて、「それなりの会社」との顧問契約を結び、毎月の顧問料が入るようになった時
⑨『岐路に立つ都市再開発』(都市文化社・1987年)などの単著を次々と出す中、新日本法規出版から『わかりやすい都市計画法の手引』執筆の依頼がきた時
⑩2001年8月以降中国旅行が続く中、『取景中国:跟着电影去旅行』を出版し、2009年8月上海のブックフェアに参加した時
弁護士になって大変だと感じること
①弁護士をやっていくことで大変だと感じることはほとんどないし、ストレスもほとんどない。しかし、1979年の独立以降一貫して大変なのが、事務員の教育(優秀な事務員を育てること)。
②自分の能力を磨くのは自分の努力だけで可能だが、事務員(スタッフ)を育てることは人間に恵まれなければムリ。これまで紆余曲折はあったが結果的に何とか順調にきたのは幸いだが、いつもこの問題には頭を悩まされている。
仕事をする上で意識していること
①日本の一般的な弁護士の業務のやり方は、私の目にはきわめて不合理。その典型は次の5つ。
a.弁護士が個室を持ちたがること(事務員との共通部屋にしたがらないこと)。
b.弁護士が記録を保管していること(事務員に記録を保管させないこと)。
c.書面は弁護士が書くのが当然だと考えていること(事務員に書面を書かせないこと)。
d.依頼者の相談を弁護士だけが聞くこと(事務員に聞かせず、メモを取らせず、資料の整理をさせないこと)。
e.お金の管理を弁護士がやっていること(事務員にお金の管理をやらせないこと)。
これは個人事務所の場合に顕著だが、こんなことでは業務の拡大はありえない。要は事務員を活用し、チームとして事務処理をすることが不可欠。私は独立以降一貫してそういうやり方でやってきた。
例えば扱う書類の内、きわめて事務的で典型的なものは、テンプレートを教え込んで事務員に書かせる。裁判所にも事務員を連れて行き、裁判所で必要な手続きは全て事務員にやらせて、私自身は案件の内容に関わることだけをする。また、事務員にも法廷を傍聴させることによって、事務員も事件の様子を理解した上でスムーズに業務ができるようにする。
このような工夫をすることによって、私は覚えれば誰にでもできるような事務的な仕事はせず、弁護士にしかできない頭を使って考える仕事だけをやるようにしているから、事件の数の心配などしたことがない。
②依頼者迎合型VS依頼者教育型 昔から依頼者迎合型タイプの弁護士が多かったが、最近は特にそれが顕著。しかし、私は最初から依頼者教育型。依頼者に厳しい言葉を投げかけることが多いし、依頼者にメモを書いてもってこいと要求するなど、依頼者の負担も大きいが、結果的にそれが依頼者のため。
おカネをもらうから仕事をするのではなく、仕事をしてやるのだからおカネをもらうのは当然と考えている。今ドキの言葉では、これを「上から目線」と批判するかもしれないが、それこそ依頼者迎合そのものだ。
③事件で敗訴した相手方から次の依頼がくれば、弁護士として超一流と認識すべし。これらの詳細は『いま、法曹界がおもしろい!』の111~113頁参照。
弁護士の傍ら、文筆家、映画評論家として活動する理由と両立の秘訣
①弁護士として依頼者の相談を聞き、事件処理をし、訴訟事件について書面を書き証人尋問するのは、最も基本の業務。それを一生懸命やる中で判断力を高め、スピードをアップさせるのは当然だが、逆にこの面は優秀な弁護士や事務員などの協力、補助を受ければ必ずしも全て自分でやる必要はない。
つまり、プレーヤーとしてだけではなく、プレーイングマネージャーもしくはマネージャーとして自分の仕事を位置づければ、トータルとしてより大きな弁護士業務の処理が可能となる。
②マネージャー的な仕事が増えれば時間的余裕ができるから、それまでの自分の経験を生かした幅広い人脈の中で、様々な活動が可能となる。私はもともと書くことが大好きだったから、まずは法律書の出版から始めたが、もともと文学評論や映画評論は弁護士になる以前からの本来的な自分のやりたいことだった。
したがって、弁護士的視点や弁護士としての経験を生かした映画評論が書けるはずだと思い書き始めたら、それがやみつきに。
③映画評論を書く以上は、ホームページに載せるだけではなく、本を出版しようと考えると、それはきわめて簡単なことだった。そんな中、映画関係者との交流も広がり、試写室通いと映画評論書きは日常の弁護士業務の一環に。
④また2000年8月の中国への初めての旅行以来、中国への興味が拡大。中国映画も200本以上観たころで、人脈も広がり、北京電影学院での講義が実現。さらに日中バイリンガル作家毛丹青氏との交流が深まる中、中国語での本の出版や、中国の大学での講義・講演がついに実現。
⑤自分の興味に真剣に立ち向かい、面白い人たちとお友達になり、刺激を受けあえば、次から次へと面白い企画が浮かび上がることになる。
⑥弁護士業務と映画評論家業務を両立させているという意識ではなく、要はそのときそのときに面白いことを徹底的に追求しているだけ、というのが正直なところ。その原動力はあくまで興味。面白いからやる。それがすべて。
⑦そんな活動を続けてきた私の現在のモットーは、「24時間仕事、しかし24時間遊び」というもの。きっと、何か面白いことをやっているときは、眠っているときも何か考えているはずだ。
今後の弁護士業界の動向
①裁判員制度と法科大学院を二本柱とし、法曹増員を目指した「司法改革路線」の成否を弁護士会がどう総括するのかが、制度論としてはもっとも重要。もともと「司法の拡大」を目指して計画されたものだが、人数が増えるだけで業務が拡大できていない現状で、競争が生まれ落ちこぼれが出てくるという当然の事態に対して、あたふたしているようでは仕方がない。
②他方、大きな観点としては日本国の衰退、中国の国力増大という時代的流れの中で、弁護士のあり方を考える必要がある。(アメリカは今後少しずつ後退)日本は島国であるため、排他的な国民性が強いが、グローバリズムを受け入れ、むしろそれを積極的に楽しむべき。世界の様々な価値観を知るのはとても面白いことだし、常にアンテナを張って新しい分野・業務を開拓する者にとっては、活躍の場は奪われるどころか広がるばかりだ。
③現実論をいえば、弁護士の数は過剰となっているが、それは国内のニーズに限っての話だし、今までの弁護士の業務に限定しての話。つまり国外に目を向ければ仕事はいくらでもある。
また従来の法廷(裁判)や法律相談に限定せず、企業内弁護士、官庁内弁護士、さらには政治家・公務員・起業家など弁護士としての能力を生かした業務の展開はいくらでもある。従来の狭い弁護士の業務しか頭になければ市場は拡大せず、弁護士のニーズは増えず、したがって魅力もないし、収入も増えないことは明らか。
④弁護士の数が増えると競争が激化するのは当然だが、実力のある弁護士はそれをむしろ喜んでいるのでは。なぜなら、それによってより差別化できるのだから。要は今までのぬるま湯的な、特権階級としての弁護士業界は幻想だったことを確認のうえ、競争は当然と考えるべき。しかもこれからは、外国人(特に中国人、韓国人)との競争になることを認識すべき。
⑤要は実力次第というあたり前の話、あたり前の時代になるということだ。