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来日33年、エリザベスさんの願い「平和な日本が大好き。一生、この国で人のために活動を続けたい」
エリザベスさん(弁護士ドットコム撮影)

来日33年、エリザベスさんの願い「平和な日本が大好き。一生、この国で人のために活動を続けたい」

食事は1日1回。毎朝3時に起床して、寝るのは10時ごろ。そんなタイトな自身の生活スタイルについて、エリザベスさんは「もう、そういうふうに身体にプログラミングされてしまっているから」と笑う。だが、左目に緑内障を患うなど、来日33年のエリザベスさんの身体は今、万全とは程遠い状態にある。

「最初に左目に痛みを感じたときは、収容中のストレスが原因なのかと思っていたけど、目の不調を訴えていた仮放免者を病院に連れて行ったとき、自分も目の検査をしたら、緑内障と診断されて。ショックだったけれど、症状が進まないように定期的な検査と点眼、服薬を続けている」

左目の緑内障に加え、身体の左半身には痺れの症状もあるという。入管施設に面会に行くとき小さなスーツケースを、それも右手だけで引いているのは、左腕に十分な力が入らないからだ。

●ビニール袋にTシャツやカップ麺を詰め込んで

1月某日、牛久(東日本入国管理センター)の面会に同行する予定で自宅を訪問すると、エリザベスさんは大量の荷物を用意していた。

数十枚のTシャツが入ったビニール袋(70Lサイズ)2つ、カップ麺、マヨネーズ、スティックタイプのカフェオレ、お茶、海苔、調味料など、たくさんの食料品を詰め込んだ同じサイズのビニール袋2つ、そしていつものスーツケース。

「バスで行くときは運べないけど、車で牛久に行けるときは、差し入れを持っていけるから。このTシャツは日本で公演したアメリカのミュージシャンが寄付してくれたもの。食料はいろいろなところから送られてくるので、中の人たちにわたしている」

収容施設は複数のブロックに分かれているが、同じブロックの人であれば、2人同時に会うことができる。エリザベスさんはできるだけ多くの人と面会するため、いつも2人に面会する。

収容されたばかりの人と在留期間が長い人を同時に面会申請するのは、入管の中のことや諸々の申請手続きの方法を把握している人に、まだ事情を知らない人を手助けしてあげてと頼むためでもある。

入管の中でも買い物はできるが、食料品にしろ、日用品にしろ、外のスーパーなどと比べると、かなり高い価格設定になっている。金銭的に困っていないという収容者も中にはいるが、そういう人は例外で、支援団体は歯磨き粉・洗剤など日用品のほか、コーヒーやお茶などの嗜好品も差し入れている。

エリザベスさんは面会中、ブロック内に何人いるかを確認する。面会の終了後、人数分の物資を均等に差し入れするためだ。

「ノートがほしい」「ブラステル(電話カード)のチャージをしてほしい」「服を入れてもらえないか」「〇〇さんが、前回、自分にはボックスティッシュを入れてもらえないと話していた」・・・こうしたリクエストを聞くのと同時に収容者の健康状態も気にかける。

エリザベスさん スーツケースを持ち歩くエリザベスさん(弁護士ドットコム撮影)

●空港で拘束された人から助けを求める電話

この日、エリザベスさんが面会したアフリカ系の男性は2023年11月、正規のパスポートと正規の短期観光ビザを取って来日していたにもかかわらず、入国を拒否されていた。空港支局で難民申請をしたが、数日で却下されて牛久に移送されている。

もともと血圧は高めだったものの、収容後に処方された降圧剤が強すぎるのか、男性は頭痛とめまいが続いているという。毎日、血圧を測定して、その数字を記録しているノートを見せながら、「服用後に血圧が上がっているのは薬が合っていないからじゃないか、入管の血圧測定器は壊れているのではないか」と懸念を口にする。

日本語を流暢に話すアジア系の男性は「正規のビザがあっても、入管は(この人は)難民申請するんじゃないかと思う人を入国させずに、拘束しているから」と話す。

コロナによる入国制限が解除された2022年の秋以降、日本への新規入国者は増加している。だが、このアフリカ系の男性以外にも、正規のパスポートとビザがあるのに、空港で入国を拒否されて収容施設に送られる人の数が増えていると多くの支援団体が指摘している。

強権政治や民族抑圧を続ける祖国を逃れて来日したものの、空港で拘束された人からも助けを求める電話をもらうことの多いエリザベスさんはこう訴える。

「入管は『国からパスポートを出してもらって、ビザも取得できている人が、国から迫害を受ける危険などないはず』と言って、空港で難民申請をしても、すぐに却下してしまう。だけど、もし偽造したパスポートを使って、ビザもなく飛行機に乗って日本に来たら、『不法入国者だ』と言って、その人を収容する。じゃあ一体、難民はどうすればいいのか。日本のやっていることは本当におかしい。それに入管の、アフリカ系の人たちへの態度は明らかに差別的だと思う」

●迫害を逃れて来日する人々の状況は他人事ではない

危険を逃れるために祖国を離れた人たちが、難民として認められず、収容されている状況をエリザベスさんが見過ごせないのは、自身も同じ境遇にいるからだ。

「自分はナイジェリア人じゃない、ビアフラ人」だと彼女はいう。

ナイジェリア南東部にあたるビアフラは1967年、ビアフラ共和国としてナイジェリアから分離独立宣言した。そこから始まったナイジェリア内戦は3年におよび、戦争とそれに伴う飢餓の犠牲者は200万人にものぼったと言われる。

ナイジェリアからの分離独立を目指すビアフラ先住民の民族組織(IPOB)のリーダーの1人として、日本でも、ナイジェリア政府の人権侵害に対して抗議活動をおこなっているエリザベスさんにとって、迫害を逃れて来日する人々の置かれた状況は他人事ではない。

「こんなところにいつまで閉じ込められ続けるのか」「いろいろ考えすぎて夜も眠れない」「送還を促す入管のチケット担当者が、2カ月ごとに部屋にきて『Go Country, Go Country(国に帰れ)』と言うけれど、帰ったらZANU PF(※ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線)に命を狙われる」……。

危険を逃れたその先でも自由を奪われ、不安を抱える難民申請者のこうした訴えに対するエリザベスさんの励ましには、彼女だからこその力強いことばが溢れる。

「あなたはもう4カ月もここにいるというけれど、私も二度、合計1年8カ月、ここに収容されていたんだよ」 「眠れないなら本を読んだらどう? 私は22時の消灯後、トイレの電気で聖書を読んでいた」 「(ネルソン・)マンデラが何年、刑務所に拘留されたか、わかっている?」 「You are African man. Be Strong(あなたたちはアフリカの男でしょう、強くなって)」

今、彼・彼女たちの国はどんな政治状況で、政府軍は市民をどう抑圧しているか。時に収容者の親類縁者らとも連絡をとりながら、エリザベスさんは難民申請時に証拠として出すための写真や資料などを集めることも手伝っている。

●日本に来たのは「神様がそうした」から

難民申請者や仮放免者が何より求めているのは「在留資格」だ。仮放免者は就労できず、移動の自由もなく、健康保険に加入することもできない。だが、在留資格さえあれば、働いて税金を払い、自分で自分のことができる。

「今、私の身分を証明するのは仮放免の書類です。許可証をとって自分の住む県の外にいるとき、身分証を見せろと言われて、仮放免の書類を見せてもこれが何か、よくわかっていない人もいるし、なぜ県外にいるのかと尋問されることもある。困っている収容者や仮放免者から電話をもらったら、すぐに助けに行きたいのに、今は『移動の自由』がないから。活動を続けるためにも、在留資格がほしいです」

祖国を離れる1991年、エリザベスさんはドイツと日本、両国のビザがとれていた。もしドイツに行っていたら、すぐに難民と認められて、在留資格も得ていたことだろう。それでも日本に来たのは自分の意志ではなく「神様がそうした」から。平和な日本が大好きで、一生、この国で人のために活動を続けたいと言う。

「医療費は、WE(市民グループ「with Elizabeth」)やAMIGOS(NPO法人北関東医療相談会)がサポートしてくれています。NHKのドキュメンタリー番組(ETV特集・2021年1月放送)を見てコンタクトしてきてくれたWEの人たちは、私が何を求めているか、まず聞いてくれたうえで、それを実践してくれる。自分にとって、彼女たちはエンジェルです」

自分のことは後回しで、いつも人のために動いているエリザベスさんを支援したい。そんな思いでグループを立ち上げたWEのメンバーの働きかけで、彼女が四半世紀住んでいる牛久市議会もエリザベスさんに在留特別許可を求める意見書を法務省と出入国在留管理庁に提出している。

苦しい状況に置かれた外国人たち、そしてその日本人の家族のためにも祈り、活動を続けているエリザベスさんに在留特別許可が出ることを、今、多くの人が願っている。

(取材・文/塚田恭子)

【プロフィール】オブエザ・エリザベス・アルオリウォ
1967年ナイジェリア南東部ビアフラに生まれる。アフリカに残る伝統的慣習のFGMを逃れて14歳で家を離れる。ナイジェリア国内を転々とした後、1991年、24歳のときに来日。工場やクリーニング店などで仕事をする。1998年頃から受刑者への面会を始める。2019年に多田謡子反権力人権賞を、また2021年に日本平和学会平和賞、2022年にOodua Progressive Union Japanから人道的奉仕賞を贈られている。

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