熱狂の時代を駆け抜けた労働弁護士 髙井伸夫氏ロングインタビュー

1960年代、労働争議や大学紛争が熱気を帯びていた高度経済成長期。その争いのただ中へ、体を張って飛び込んでいく弁護士がいた。弁護士・髙井伸夫氏は、2人の恩師から「労働の人格性」の教えを受け、労働事件に魅せられた。小細工などは弄せず正面から相手方と向き合い、信用を勝ち取ってきた髙井氏は、事務所の会長職に就いた今もなお、経営者を含む働く人々へメッセージを発信し続けている。「企業の存続こそが社会貢献である」と企業側の立場を貫いてきた髙井氏に、その半生と今後についてお話を伺った。
取材・文/臼井友恵 Interview&Text by Tomoe Usui
髙井・岡芹法律事務所 会長弁護士 髙井伸夫氏 Nobuo Takai
(弁護士ドットコムタイムズ<旧・月刊弁護士ドットコム>Vol.10<2016年7月発行>より)

目次

  1. 2人の恩師に導かれて労働弁護士として立つ
  2. 戦場は現場 体で覚える弁護活動
  3. 裁判に負けても成果を生む 心を動かすリーダーの資質
  4. 経営者を支え続ける 弁護士としての信条
  5. 考えぬく人間の頭脳 期待する将来の"AI弁護士"

2人の恩師に導かれて労働弁護士として立つ


「企業は存続することこそが第一の社会的責任なんですよ。存続することにより雇用の場を提供し、納税し、 社会的に意義のある活動を継続できる。 特に、ヒトの問題を扱う人事・労務分野は、組織の 秩序保持と、組織と個人のさらなる向上・発展という重たい責任を担っているんですよね。  だからその分野に弁護士として携わることは、社会的にも意義が大きく、やりがいを感じました」

50 年以上の弁護士人生を、一貫して経営者側の労働弁護士として生きてきた髙井伸夫氏はこう語る。

髙井氏は 1937 年、愛知県名古屋市に4人きょうだいの長男として生まれた。弁護士として開業していた父の背中を見て育ち、幼いころから自然と自分も弁護士にな るものだと考えていた。教育熱心な両親の意向で、中学・ 高校は進学校へ。その後も迷うことなく弁護士の道を志し、東京大学法学部へと進んだ。

「大学3年生の時に、来栖三郎先生の民法を受講しました。来栖先生は、日本の民法学者の中で最高峰と言 われている人です。その先生が、労働契約は一般の契 約と異なり『人格的結合契約』の側面があると述べられたんです」

来栖先生の著書『法律学全集 21 契約法』にこうある。「民法上では、雇傭は売買ないし交換と異なる別の契約とされている。(中略)売買ないし交換される商品が人格から独立した存在をもつ物ないし権利でなくて、人格と不可分離に結びついている労働力なので、 普通の物ないし権利の売買ないし交換とは異なった法律的取扱をしなければならない点があるからである」と。

「実は、新人弁護士1年目の時に、父の勧めに従って孫田秀春先生の事務所でお世話になることになったのですが、孫田先生も同様に、労働契約は人格的結合契約の側面があると著書に縷々として述べられていたんですよ」

孫田先生による『わが国労働法の問題点』を抜粋すると、「労働関係を協同体関係たらしめる諸要因の中で、 最も根源的なものは、いうまでもなく『労働の人格性』ということ」とある。

「労働契約というと、労働法学者も含めてみな『債権契約』だと認識していましたが、この2人の先生は労働契約を『人格的結合契約』とおっしゃっている。僕はそれを聞いて大変感激して、労働弁護に生きがいを感じたんです」

髙井氏は、それまで労働法に特別な興味を持っていたわけではなかった。しかし、この偉大な2人の恩師に感銘を受け、労働事件専門の弁護士として一歩を踏み出す決意を固めた。

戦場は現場 体で覚える弁護活動


髙井氏が弁護士人生を歩み始めた 1963 年は、高度経済成長期のまっただ中であった。1955 年に「春闘」 方式がスタートしたことで賃上げ交渉が続出し、労働争議は急増していた。

「当時はストライキだけでなく、ロックアウトも頻繁に行われていました。国鉄の電車はどの車両にも白墨や白いペンキで乱暴なことが書かれていて、要するに戦争みたいな状態です。そんな状況が東京にあふれかえっていました」

そのころ髙井氏は、国鉄(現 JR)の顧問弁護士とし て、国労(国鉄労働組合)や動労(国鉄動力車労働組合)を相手に闘ったこともあった。

「一番印象的だったのは、栃木県黒磯市(現那須塩原市)の機関庫での争議ですね。黒磯には那須の御用邸があります。天皇皇后両陛下がいらっしゃる時にはさすがに静かになるのですが、お二人が東京へ戻られると再び大騒ぎになるんです。  その闘いを一生懸命やって、勝ち抜いて、『黒磯に平穏が戻った』と言われたことが懐かしいですね」

労働争議のピーク時には、各地で学生運動も多発していた。

「1週間くらいの休学は平気でありましたね。一番激しかったのは日大の紛争です。約 10 万人の学生がみんな大衆団交をやって、戦闘状態だったんですよ。機動隊もどんどん入っていって。まさにダイナミズムそのものを肌で感じましたね」

相手を説得し、納得の上で合意させるには、体を張るしか方法はなかった。団体交渉、ストライキ、ピケなど、 常に激しい衝突の現場に身を置いていたのである。

「新人2年生の1964 年には、東映の京都太秦撮影所のリストラ事案を担当しました。当時はテレビが台頭してきた時代で、映画が斜陽化し始めていたんです。映画がピークの時代は、1958 年が最高で、年間で 延べ 11 億人以上が映画を見ていたのに、わずか数年で急減し当時は4億人くらいまで減っていた。映画館もどんどんボウリング場に変わっていって。その中でリストラという話が出たんですね。撮影所の人たちは夜中に働くんですよ。夜中の2時、 3時にきて『おはようございます』って。そういう昼夜のない中で闘っていたから、体でいろんなことを覚えていきました」

その時、撮影所所長であった故岡田茂氏(のちに社長・会長等歴任)が髙井氏の働きぶりを見て、米国の映画会社メジャー13 社による使用者団体の主席交渉員に髙井氏を推薦した。

「『髙井君は英語もできないけど、やってみろよ!』なんて言われて。団交(団体交渉)なんて初めてでしたから、 右も左も分からない状態で体を張って命がけで奮闘しましたよ」

13 社の米国本社および日本支社の代表者たちは、一 人の日本人を除いて全員が米・印などの外国人であった。 そこでまず、彼らを説得しなければならないという修羅場が待っていた。

「当時一番儲かっていたのは、007 シリーズで観客を大動員したユナイトという映画会社。でも、コロンビアとか当たっていない映画会社もいっぱいあったわけです。すると、労働条件は天と地くらい違う。それを同じ条件にしなきゃいけないもんだから、本当に大変でしたよ」

今では想像もできないほど厳しい労使対決の現場であった。その対立場面を苦しくともびくつかずに乗り切った。

「苦しい峠も登りつめれば新しい平野が見渡せるのだと実感しましたね。現場でのさまざまな言動から、自分を含むすべての関係者の人間性を見極めて、人間のあるべき資質としての『真・善・美』『夢・愛・誠』といった人間のありようを見抜く眼力の重要性を肌で学んだんです」

こうして髙井氏にとって、団交はいつしか得意分野となっていった。

裁判に負けても成果を生む 心を動かすリーダーの資質


1977 年、髙井氏にとって忘れられない事件があった。倒産間際にあった一部上場企業・ニチバンの再建を担当することになったのである。当時、大鵬薬品工業の社長であった小林幸雄氏がスポンサーとしてその再建を引き受けることになっていた。

「再建方策としては、人件費を圧縮するだけでなく、年間労働時間を1,865 時間から 2,136 時間に延長するという抜本的施策も含まれていました。社員の中には、倒産しかかってるんだから働かなきゃどうしようもないという賛成派と、獲得した労働条件は維持すべきという反対派の両方がいましたが、僕は裁判で負け続けたわけですよ。負け続けたんですが、労働時間の延長という施策が会社再建にとって必要不可欠な処置であるという理解に従業員の大半が達したんです」

1979 年6月7日、東京地方裁判所は「もとより、当裁判所は、債務者(=会社)の積極的な経営政策をそれ自体として批判するものではなく、また、本件勤務時間延長実施の前後を通じて相当数の従業員が債務者の経営方針の転換、経営政策の積極化に協力的な気運を醸成していた、との債務者の主張を否定し去るものではない」との判断を示した。

「簡単にいうと、労働時間を長くして働かなきゃならない気持ちもわかると。裁判所は、違法だけど正しいと言ってくれたんですね。裁判では負けたけど、会社の再建には成功することができました」

一方で、この成果に至ったのは小林氏のリーダーとしての資質も大きく影響していた。
「結局、リーダーというのは愛することなんですよ。『愛』という文字は、心が真ん中にあって、受けると書く。 つまり、相手の心を受けるということなんです。経営者は、とかく相手の心を殺すことを考えてしまい がちなんですが、それじゃだめなんですよね。相手の心を受けて、相手の気持ちもわかるけど、経営者としてやるべきことを伝えなきゃいけない。

小林さんは『労働時間は短い方がいいことはわかるけど、長くしないと会社は生きていけないよ』と、はっきり伝えたんです。それで半分くらいの従業員は納得したんじゃないでしょうか。それを繰り返して、ほかの従業員も納得していったんですね。だから、リーダーは愛するということが大事なんです。 それは思いやりということでもありますよね」

意見の異なる人々をいかにして自分の意見と同調させるか。自分の意見に巻き込み、引き込むか。それが髙井氏の考える「リーダーシップ」である。

経営者を支え続ける 弁護士としての信条


労使紛争とは、多くの場合、経営不振の時に起きるものである。「そんな時にこそ、経営者に寄り添い、味方となって会社の再建に協力したい」と髙井氏は語る。 「経営が思わしくないと、弱気になって嘘ばっかり言って しまう経営者も少なくありません。いざとなると弱気になってしまう人もたくさんいる。だから自信を持たせるた めに一生懸命"ヨイショ"するんです。

おだてるということではなく、正々堂々と発言することを教えてあげるんですね。経営者を持ち上げて、自分の実力以上のことを言えるようになってもらう。そうしたら修羅場を勝ち抜けるわけですよ。本人が挫けようとしているのに対して、挫けちゃいけないんだと必死に励まします。堂々と話したら、うまくいくんですよ。そうやって勝利体験を積めば、経営者は大き く成長できる。だから、弁護士としても妥協しちゃいけないと思っています」

時に優しく、時に厳しく、髙井氏は経営者へメッセージを送り続けてきた。

「『天下の大道を歩む。小細工は弄しない』これが私の弁護士としての信条です。経営には、論理と倫理があり、そこで働く労働者全体への責任がある。だから、経営者とその弁護士である経営法曹は大道を歩まなければならないんです」

髙井氏は、相手方の労組役員・組合員からも恨まれず、逆に敬意を表されたことも少なくない。それは、相手方の弁護士と強固な信頼関係を築いてきたからに他ならない。

「僕は絶対に偽証しませんし、訴訟で全力を尽くしたあとで和解の機が熟せば、依頼者を強力に説得したりもします。裁判で負けてもいいから偽証は絶対にしません。それから、大義名分を明確にすることです。事件は、 大義名分があるかどうかで小さい事件にもなるし、大きい事件にもなります。

事件を小さな事件にする人は、大義名分を語るのが下手なんです。大きな事件にするには、 大義名分をきちっと語らなきゃいけないということを経験の中で覚えました。大義名分とは、『道義』『道理』『道徳』をも包含する理念で、法律よりも高次元なものです。 単なる必要性よりも強い概念なんですね。必要性じゃ足りないんです。あと、相手方の弁護士を悪く言う必要はありません。 むしろ、攻撃してはうまくいかなくなってしまいます」

この3つの姿勢が相手方の弁護士に信用される秘訣である。

「労働事件は、永久闘争ではありません。経営者も労働者もその企業の中で人格を実現・発展させ、その企業によって生活を確保します。だから、どこかで労使紛争は解決しなければならないんです。その時に、相手をたたき殺す必要はありません。それはむしろしてはならないことですから。訴訟に全力を尽くす中で正しい和解の気運を醸成しなければならない、これが労働事件の特色だと思いますね」

髙井氏がよく口にする言葉に『最後に倒産する会社になろう』というものがある。懸命に努力し、それでもなお黒字に転換しない時は倒産するしかないが、そうならない経営をしようという意味だ。

「社会にとって必要のない会社は倒産した方がいいのですが、5年、10 年、20 年、30 年と続いている会社というのは、われわれが考えている以上にみんな立派なんですよ。みんな長い間生きながらえて、苦しいことも乗り越えてきたんですよね」

髙井氏が半世紀以上にわたる弁護士人生の中でかかわってきた企業は 1,000 社を超える。

「やっぱり印象深いのは、遠いところの会社ですね。東京からだと、岡山、広島、九州、沖縄なんて遠方の人とはなかなか会えないし、親しくなれない。それでも、 今なお慕ってくださる人がいることは本当にうれしいで すね。『同じ釜の飯』というと大げさですが、苦労を共にしてきた思い出があるんですよ。『修羅場をくぐる』とか『土壇場をふむ』といった言葉になるんでしょうけど。一瞬でも一緒に仕事をしたり、何かを乗り越えた経験があれば、関係はずっと続いていきます。それが、人事・ 労務という分野が『人格的結合契約』であるがゆえの特徴ですね」

考えぬく人間の頭脳 期待する将来の"AI弁護士"


1999 年、髙井氏は中国・上海に事務所を構えた。 個人経営の法律事務所といえども、多様性と国際性をもって将来に備える必要性を感じていたのである。

「ちょうどこの時期は 1997 年のアジア通貨危機の直後だったので、消極意見を唱える人も多かったんですよ。 ただ、そういう時こそ打って出るべきだと考えて、行動しました」

2006 年には北京にも事務所を設立。「弁護士としての第一線に区切りをつける」として、2010 年に所長を岡芹健夫弁護士に譲り、会長に就任した。その後は、主に執筆を通じて経営者をはじめとする働く人々へメッセージを送り続けている。

「僕の好きな言葉に『統一ある刺激は数少なくとも、数多い散漫な刺激に勝る』という言葉があります。これは、目標をきちんと定めて刺激を受けて勉強しなさいということですね。例えば、新聞の3万字の活字を漫然と読んでもしょうがないんです。AI についてだったら、AI に関する記事だけをずっと読む。それらの情報が立体的であればあるほどいいですよね。『AI とロボット』とか『AI と弁護士』とか。この実践こそが最良の姿勢なんです。今やらねばならないことを明確に決定し、明確な方針のもとで明確に優先順位をつけながら粛々と行動し続けること。僕の場合、『書き物をして発表する手続き』こそがその最良の方法と判断したので、日々漠然と感じ、思い、考えている事柄の体系化に努めてきた足跡が今日までの出版となったわけです」

現在は、過去 50 年以上の「新しい感じ方・思い方・ 考え方」を深め、広げることに挑戦しようと、精力的に執筆活動を行っている。

「すでに『縁』『弁護士の営業』『AI』という3つのテー マは固まっているんです。『縁』というのは、言葉にすると弁護士にとって大切な"袖 触れ合うも他生の縁"というのかな。そのイメージをいろんな角度から書いているんです。『弁護士の営業』というのは、みんなが知りたいことで はないでしょうか。これはもう500 ページくらい書いてしまいました(笑)。若手弁護士に向けて書いたものなん ですが、ビジネスマンに読んでいただいても伝わる内容になっています」

「AI」については、特に思い入れが強い。

「AIは2045年には人間の知能を越えるといわれています。 だから、人間は AI と共存して活躍できるように、必死に努力して自身の活躍の場を守らなければならないんですよ。今後はさらにキャリアを意識しなければならないし、『教育』が特に重要になってくると思いますね」

時代の最先端を歩むべく、AI の存在を意識して一 層勉強に励まなければならないと、髙井氏は語る。

「ただ、情報処理能力では AI に凌駕されていくけれども、AI は考え"ぬく"ことはできません。これはすべての職業に当てはまることだと思いますが、これからは考えぬく力を持ち、秀でた成果を出せる者しか生き残っていけないのではないでしょうか。特に、弁護士業界は弁護士数が増えたことで競争が激化しています。弁護士といえども、誰にも負けない専門性と特徴を持たなければ淘汰されてしまう時代になったんですね。だからこそ、現代で仕事をするにあたっては『ハイテク』 とともに、技術社会で必要とされる人間同士の心のふれあいという意味で『ハイタッチ』が必要なんです。人間関係がすべての基礎ですね」

これからの弁護士に向けて、髙井氏は「巧遅は拙速に如かず」(孫子)という言葉を贈る。上手だが遅いよりも、下手でも速い方がよいという意味である。

「弁護士の仕事も、企業経営も、なんでもスピードが重要です。現代では、ソフトバンクの孫社長、ユニクロ の柳井社長、日本電産の永守社長に代表されるような、 瞬時に優れた判断力を発揮する経営者による『瞬間経営』が評価されています。弁護士の場合は、それ以上 に半歩先を歩むことを心がけなければなりません。

そのためには、常に先見性ある姿勢、先見性ある経営を念頭に置いて、絶えずリスクを覚悟しなければなら ない。リスクをとることと、半歩先を歩むことは、臆病な弁護士にはとても耐えられません。こうした局面にも 耐えうるように、若手弁護士は常に勇気と覚悟を持って、 弁護士業に取り組んでほしいと思います。

ロースクールができて新しい司法試験制度になってからは、医師、歯科医師、建築家、薬剤師など、法律家とはまったく異なる高度な資格の仕事の経験のある者が弁護士として活動することが、旧試験の時代よりも多く見られるようになりました。近い将来には、AI の専門家から有能な弁護士が現れることも期待したいですね」

未来を見つめ続ける髙井氏の言葉は新しいアイデアに満ちあふれている。
Profile|髙井伸夫氏
1961年東大法学部卒業、1963年司法修習修了後、孫田・高梨法律事務所入所。現在に至るまで一貫して企業側弁護士として労働事件を受ける。1973年髙井伸夫法律事務所開設。2010年髙井・岡芹法律事務所会長就任。現在、社団法人日中協会理事、NPO法人キャリア権推進ネットワーク監事など。「人事権の法的展開」「企業経営と労務管理」 「人員削減 賃金ダウンの法律実務―成果主義を徹底する人事戦略 ―」「髙井式 一生使える勉強法 成長モードにスイッチする」「労使の視点で読む 最高裁重要労働判例」「ポケット版 20代は仕事で大きく成長する」「営業で『結果を出す人』が必ず実行していること」など著書多数。

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