1966年に発生した静岡県一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巌さんに再審無罪判決が言い渡されたことを受け、全国の有志の法学研究者が10月4日、検察は控訴をすべきでないとする声明を発表した。
刑事法の研究者のほか、大学教授や弁護士など、発起人や呼びかけ人を含めて計346人が声明に参加。無罪判決言い渡し後の9月27日から賛同者を募っていた。
声明では、無罪判決について、「袴田巌氏の雪冤が果たされたことを歓迎し、再審請求に尽力された関係者ならびにこれに応えた裁判所に対し、深く敬意を表する」と評価し、「無罪判決を早期に確定させるべく、控訴手続を取らないことを求める」としている。
声明を発表した日に都内で開かれた記者会見で、発起人代表をつとめる一橋大の村井敏邦名誉教授は「(再審公判で)検察が有罪立証し、いたずらに時間を費やしたことに、大変に失望し憤りを感じた。しかし、袴田さんや関係者の方々は憤りでは済まない。検察は国民を愚弄したと言ってもいい」と検察側の対応を痛烈に批判した。
●控訴すれば「検察の歴史や名声に汚点を残す」
「袴田事件再審判決を受けての法学研究者声明」では、再審無罪判決の速やかな確定と再審法改正の実現を求めている。
声明は、袴田事件については「捜査のあり方ならびに袴田巌氏が犯人であることについて確定一審の段階から深刻な疑問が抱かれてきた」と指摘。これらの疑問点を改めて指摘した再審判決について、「捜査手続の問題性ならびに『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則を意識しての判断」したものとして評価する。
事件発生から長期間経過していることで、「袴田巌氏ならびに第2次再審の請求人である姉・袴田ひで子氏は、60年近くも事件に翻弄され、巌氏はその結果、精神を病むという状態に追い込まれている」ことを強く懸念。
仮に控訴されてこの状態が一層長期化すれば、「迅速な裁判を受ける被告人の権利(憲法37条1項)を侵害するのみならず、法理を超えた人道問題であるとすらいえる。検察官控訴は、検察の歴史や名声に汚点を残すこと以外の何物でもない」ことから、「検察官は控訴権を行使すべきでない」としている。
また、起訴前の長期の身体拘束、執拗な追及による虚偽自白の獲得、検察官による被告人に有利な証拠の不開示、違法・不当な捜査に対する裁判所のチェックの弱さなど、「刑事手続の問題は、現在も残存しており、誤判を生みだす要因となっている」とし、「問題点の改革と無実の者を迅速に救済する再審制度の確立」すべく、現行の再審法を改正すべきだとうったえている。
●「控訴して有罪判決を獲得する可能性は限りなくゼロ」
事件発生から1年2カ月後に工場の味噌タンクの底から発見され、犯行着衣とされてきた「5点の衣類」は、重要な証拠として継続して争点となっていたが、再審無罪判決で捜査機関によるねつ造と認定された。
声明の呼びかけ人をつとめる青山学院大の葛野尋之教授は会見で、ねつ造認定されたことなどを踏まえ、「検察が控訴して有罪判決を獲得する可能性は限りなくゼロに近い。にもかかわらず、控訴するのであれば、権限の濫用にほかならない」と指摘した。
同じく呼びかけ人で一橋大の高平奇恵准教授も「これまで長年かけておこなわれてきたことを控訴でまた繰り返すのか」とし、「控訴は、袴田さんの苦しみをいたずらに長引かせるだけ。58年もの間、袴田さんを苦しめ続けていた理由、原因を見つめ、解析することが検察官に求められる役割ではないか」と注文をつけた。
村井名誉教授は、検察が証拠を改ざんした郵便不正・厚生労働省元局長事件を挙げて、「あの事件で反省したはずの検察が、ねつ造認定される証拠等で有罪立証した。このようなことを許してはいけない」と述べ、再審法を改正し、たとえ被告人に有利な証拠であっても検察が収集した証拠は全部提出するなどの制度を整備すべきとうったえた。