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「適正な裁判や当事者の権利は二の次」 元裁判官が最高裁の「人事支配」を厳しく批判
外国特派員協会で記者会見する瀬木比呂志氏

「適正な裁判や当事者の権利は二の次」 元裁判官が最高裁の「人事支配」を厳しく批判

33年間にわたり、東京地裁や大阪高裁など日本各地の裁判所に勤務し、最高裁判所の調査官を経験したこともある元裁判官・瀬木比呂志氏が2月27日、外国特派員協会で記者会見を開き、日本の裁判所の「病巣」を厳しく批判した。

裁判所の内部に長く在籍した人物による表立った組織批判は、異例のことだ。2月中旬に『絶望の裁判所』と題する新書を出した瀬木氏は、同書の内容を引用しながら、「最高裁長官の意を受けた最高裁事務総局が、裁判官の人事を一手に握ることによって、容易に裁判官の支配・統制をおこなうことが可能になっている」と指摘した。

そのうえで、「裁判官たちは、ヒラメのように最高裁事務総局の方向ばかりをうかがいながら裁判をするようになり、結論の適正さや当事者の権利は二の次になりがちだ」と、現在の裁判所の人事制度がもたらす問題点を批判した。

スピーチでは、最高裁長官による「大規模な情実人事」や、最高裁の暗部とされる「思想統制工作」についても触れており、組織内部の体験者ならでは生々しさが感じられる。以下、瀬木氏のスピーチの内容を紹介する。

●「思想統制工作」を自慢げに語る裁判官たち

「日本の裁判所はどのような裁判所かということですが、大局的にみれば、それは国民・市民支配のための道具・装置であり、また、そうした装置としてみれば、極めてよくできているといえます。

なぜ日本の裁判所・裁判官が、そのような役割に甘んじているのかを多角的に解き明かすのが、この書物(『絶望の裁判所』)の目的です。

私は思想的には、広い意味での自由主義者であり、また、個人主義者でもあると思いますが、いかなる政治的な党派・立場にも与してはいません。

以下、書物の内容に沿いながら、論じます。

まず、私が最高裁で経験した2つの事件について、述べます。1つは、私が事務総局民事局の局付裁判官だった時代の経験です。

ある国会議員から入った質問に対してどのように答えるかを、裁判官たちが集まって協議していたとき、ある局の課長(裁判官)がこう言いました。『俺、知ってるんだけどさ、こいつ、女のことで問題があるんだ。質問対策として、そのことを週刊誌かテレビにリークしてやったらいいんじゃないか』

もちろん彼のアイデアは採用されませんでした。(裁判官からこのような言葉が出たことに)他のメンバーはショックを受けていましたが、その課長は平然としていました。彼は、のちに出世のヒエラルキーを昇り詰め、最高裁に入りました。

また、私が最高裁の調査官時代、最高裁判事と調査官の昼食会の席上、ある最高裁判事が大声をあげました。『実は、俺の家の押し入れには、ブルーパージ関連の資料が山とあるんだ。どうやって処分しようかな』。すると、『俺も』『俺も』と他の二人の最高裁判事からも声があがりました。

このときも、昼食会の会場は静まりかえりました。『ブルーパージ』というのは、大規模な左派裁判官排除、思想統制工作であり、最高裁の歴史における代表的な恥部です。そのような事柄について、6人の下級裁判所(地裁・高裁)出身の裁判官のうち3人もが、自慢げにこのような発言をおこなったことに、他のメンバーはショックを受けました」

●最高裁事務総局を頂点とする「上命下服のピラミッド」

「2000年代以降、長く人事上劣勢にあった刑事系裁判官は、裁判員制度導入を利用して、裁判所の支配権を握りました。彼らがおこなった情実人事については、本書でも詳しく記しています。

このような状況について、ある元裁判官は『最高裁長官・竹崎博允(ひろのぶ)氏が進めたこのような人事は、言語道断である。こうした大規模な情実人事が、下級審裁判官たちに与えた影響は計りしれない』と述べています。

竹崎長官の就任後、最高裁判所のいわゆる『学者枠』に元裁判官である女性学者が任命されました。しかしこの人事については、学者の間から『彼女の業績は非常に乏しいものではないか』という批判が数限りなく聞かれました。

この人事についても、元裁判官の有力者は次のように述べています。

『筋の通った反対意見を書くことが多く、影響力が強い《学者枠》の裁判官に、そのような人物ではない人を得るというのは、裁判所当局にとって都合の良いことであろう。たとえば、必ず提起されるに違いない《裁判員制度違憲》を訴える訴訟について、全員一致の合憲判決を得ることが容易になるに違いない』

この合憲判決については、彼の予測は当たることになりました。

日本の裁判所のもっとも目立った特徴は、あきらかに『(最高裁)事務総局中心体制』であり、それにもとづくところの上命下服の『ピラミッド型ヒエラルキー』です。そのヒエラルキーは、たとえば横綱から幕下力士までの名前が細かく掲げられた相撲の番付表にも似ています。日本の裁判所が、およそ平等を基本とする組織ではなく、むしろ、その逆であることを認識してください。

最高裁長官、事務総長、そして、その意を受けた事務総局人事局は、裁判官の人事を一手に握ることによって、容易に裁判官の支配・統制をおこなうことが可能になっています。こうした人事について恐ろしいのは、裁判所当局による報復が何を根拠としておこなわれるのか、いつおこなわれるのか、わからないということです。

そのため、裁判官たちは『最高裁や事務総局の気に入らない判決を書かないように』ということから、ヒラメのようにそちらの方向ばかりをうかがいながら裁判をするようになり、結論の適正さや当事者の権利は二の次になりがちです。

事務総局は、気に入らない者については、かなりヒエラルキーの階段を昇ってからでも、たとえば『もう、あなたは東京には戻さない』といったことを告げ、公証人など別の職業を紹介するといった形で、切り捨てることができます」

●『それでもボクはやってない』はいつでも起こりうる

「日本の裁判官は、このような事情から、たとえば国が被告になっている、あるいは行政が被告になっているような困難な判断につき、棄却・却下の方向をとりやすい。また、困難な判断を避け、当事者に和解を強要する傾向が強いといえます。

最高裁の判例の一般的な傾向については、このように言えると思います。すなわち、統治と支配の根幹はアンタッチャブルであり、しかしながら、それ以外の事柄については、可能な範囲で一般受けの方向を狙うということです。

刑事裁判については、日本では『それでもボクはやってない』という周防正行監督の映画が話題になりましたが、実際には日本の法律家にとって、あの映画はショッキングなものではありません。ああいうことは、いつでも日本の刑事司法で起こりうる。つまり、あなたがたにも起こりうることだと考えます。

裁判員制度についても、そのあるべき姿がゆがめられてしまったといえます。被告人選択制の陪審制度に移行すべきです。

日本の裁判官は、かつては2000名あまり、現在も3000名足らずと非常に少ない。一般的にいえばエリート集団ですが、その非行はかなり多く、ことに2000年代以降、8件もの事件で、多くの裁判官が罷免等されています。ほとんどが性的な非行です。これは裁判所の荒廃の端的なあらわれではないかと思います。このような事態を生む裁判官の精神構造の病理については、本書で詳しく触れています。

日本においても、たとえば大学では、ハラスメントに関する適正な規律がなされています。しかし、裁判所には、そのようなガイドラインも、相談窓口や審査機関もなく、いわば野放しの状況になっているといえます。

つまり、裁判官たちの非行については、収容所的な組織がもたらす悪影響と個人的な原因があるということです」

●日本の裁判官は「見えない収容所」の囚人

「日本の裁判官たちは、見えない『檻』『収容所』の中に閉じ込められた『制度の囚人達』であるといっても良いと思います。それはある意味で、旧ソ連の全体主義的共産主義体制すら思い起こさせます。

日本の社会はそれなりに充実した民主社会ですが、その構成員にとって、あるいは日本に住む外国人にとって、息苦しい部分があると思います。

その原因の一つは、おそらく社会の二重構造、二重規範にあるのではないかと思います。つまり、法などの明確な規範の内側に、それぞれの部分社会特有の『見えない規範』があるのです。人々は、どちらかといえば、その『見えない規範』によって縛られています。

日本の裁判官の社会は、この『見えない規範』が極めて強固であり、またそれに触れた場合の制裁が極めて過酷な社会なのです。

日本国憲法76条には『すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される』と記載されています。

しかし、日本の裁判官の実態は、『すべて裁判官は、最高裁と事務総局に従属してその職権を行い、もっぱら組織の掟とガイドラインによって拘束される』といったものになっています。この憲法の条文は、日本国憲法の他の数多くの輝かしい条文と同じように、愚弄され、踏みにじられているといえます。

日本の裁判所・裁判官制度が根本的に改革されなければ、日本の裁判は、本当の意味において良くはならないでしょう。また、現在の裁判所はもはや自浄能力を欠いており、法曹一元制度の採用による根本的な改革が必要だと考えます。

まとめの言葉として、次のように述べておきたいと思います。

本書はある意味で、司法という狭い世界ではなく、日本社会全体の問題を批判する書物です。バブル経済崩壊以降の日本社会の行き詰まりには、私がこの書物で分析したような問題に起因する部分が大きいのではないでしょうか。

日本の裁判官組織は、法律専門家エリートの非常に閉ざされた官僚集団であるために、そのような問題が集約・凝縮されてあらわれていると考えます。その意味で、本書で私が提起した問題には、かなり大きな普遍性があるのではないのかと考えています」

【瀬木比呂志氏プロフィール】

1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。

(弁護士ドットコムニュース)

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