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「私の仕事は、残業代を出すことに値しないのか」 公立小教員の訴え〈全文〉
第1回口頭弁論後に報道陣の囲み取材に応じた男性

「私の仕事は、残業代を出すことに値しないのか」 公立小教員の訴え〈全文〉

教員の時間外労働に残業代が支払われていないのは違法だとして、埼玉県内の市立小学校の男性教員(59)が、県に約242万円の未払い賃金の支払いを求めた訴訟の第1回口頭弁論が12月14日、さいたま地裁(石垣陽介裁判長)で開かれた。

【関連:公立小教員、残業代訴訟 初弁論で「無賃労働、若い人に引き継いではいけない」

男性教員の意見陳述全文は以下の通り。

●公立学校の教員の無賃残業を無くしたい

12月14日、今日は何の日かご存知ですか。忠臣蔵、赤穂浪士の討ち入りの日です。討ち入りの日と重なった。そう思いました。

しかし、今は、民主主義の時代です。正しいことをしっかりと主張し、証明していけば、真実が認められる時代なのです。大勢の人たちが見守ってくれる中で、自由に討論ができるのです。素晴らしい時代になりました。

私は、この裁判で、公立学校の教員の無賃残業を無くしたいです。

今、全国で過労死が問題になっています。教員の中にも苦しんでいる方がたくさんいます。なぜ解決しないのでしょうか。民間企業では、社長が責任を持って問題解決に向けた取り組みを始めています。しかし、教員の世界は今も残業代が出ません。無賃労働状態です。社長が問題を解決しようとする覚悟がないのかもしれません。

●教師の自主的な活動が主であった時代

私は、38年間、埼玉県内の公立小学校の教諭として働いてきました。給特法が成立した後の時代を生きてきたのです。教育は全て個人指導である。これは私が大学院時代に学んだ言葉です。教員は、ひとりひとりに対応することが大切であり、その人の良さを引き出せと教わりました。

昭和56年4月。私が教師になった時は、教師の自主的な活動が主であった時代でした。

初めて先生と呼ばれた日のことです。始業式で簡単な挨拶、担任発表の後に教室に向かうのですが、何を指示されることもなく、自分で教室に向かい、子供たちの前で自分の思いを必死に話していたことを覚えています。先輩の先生の様子を見ながら自分で考えて仕事をしていました。

楽しかった毎日毎日があっという間に過ぎていきました。学校長に指示を受けることもほとんどありませんでした。17時が勤務終了の時間です。子育て中の先生方が大勢いて、勤務時間の終了とともに職員室から半数ほどの先生たちがいなくなりました。

勤務の開始は8時30分。多くの先生方の出勤時刻は8時15分を過ぎていました。全てが職員会議で決められていたため、職員会議資料は過去何年か分のものを取って置いたのを覚えています。

●教員の自主性が尊重されなくなった

平成時代に入り、自主性の一つである自宅研修が無くなりました。何か少しずつ様子が変わっていきました。学校が研究指定校になることが一番仕事を強要されていると思いました。まだ時間外勤務は自主的でした。

教員の自主性が尊重されなくなったと思うきっかけの出来事がありました。それは、職員会議は決定機関ではないと言われるようになったことです。校長の諮問機関であるという言葉が使われていました。職員会議は学校長が主宰するということでした。言葉の意味はよくわかりませんでしたが、学校長に決定する権限があるんだということを理解しました。職員会議で議論する意味が減りました。

平成12年頃の話です。一般企業と比べてという言葉を多く聞くようになりました。この頃から教員の自主性は認められなくなっていったのかもしれません。

●時間外勤務が当たり前のように

平成13年4月、新しい学校に着任すると大きな変化を感じました。学校長の指示に従って学校が動いていました。教員には、学校という組織としての活動が要求されました。その後、人事評価制度が導入されました。この頃から時間外勤務が増えるようになりました。公務員の中で教員だけ残業代が出ないことを知ってショックを受けたことが記憶に残っています。

平成20年に異動した学校では、登校指導のため、朝早く出勤しなければなりませんでした。もちろん時間調整もありません。学校長から仕事を指示されることが多くなり、時間外勤務が当たり前のようになってきました。残業代を出してもらわないと仕事が減らないと思うようになりました。労働基準監督署に相談の電話をしたのはこの頃でした。それでも意見を強く言うことで労働環境はそれなりに良くなりました。

●若い人たちに引き継いではいけない

平成28年に異動した今の学校では驚くことがたくさんありました。自分の学校の労働環境を変えるだけでは意味がありません。日本全体を変えなくてはいけないのです。そう思うようになりました。

私は、来年の3月に定年退職を迎えます。これまで自分が経験してきた不合理なことを、次世代を担う若い人たちに引き継いではいけないと強く思っています。そのことが今回の訴訟につながったのです。

●自主的な活動ではない

自主的勤務が、学校長の権限の拡大から仕事の強要になってきています。

私は、現在の学校に3年前に着任してきました。私は、勤務開始1時間前の7時30分に学校に到着します。教室で子供達を迎えるためです。はじめは7時30分に勤務を開始することがとてもストレスでした。しかも、7時30分に学校に到着すると、もうすでにほとんどの職員が勤務を開始しているのです。私が到着する時間には、学校長が職員室の正面、真ん中に堂々とした姿で腰を下ろして座っていました。私が職員室に入るとはっきりと目が合うのがわかりました。

机につくと学年主任の先生から仕事の話がどんどん入ってきます。まだ勤務時間外なのですがお構いなしです。私は異動したばかりでしたので、ただ従うしかありませんでした。何かのきっかけで長期にわたる病気になっていても不思議ではありませんでした。何十年間も続けてきた生活パターンを変えるということは容易でないことがわかりました。しかも、妻からは、なぜそんなに早く出勤するのかととがめられ、私には二重のストレスが生まれました。

この朝の仕事を自主的にやっていると言われてしまったら心外です。自主的な活動ではなく間違いなく勤務です。選択の自由があるようでないのです。その場で逆らえないものがあるのです。従うしかないものがあるのです。2年間苦しみました。

●休憩時間の確保、守られず

子供達は8時に登校し16時に下校します。私たちは8時間ずっと子供達と一緒に過ごします。午前中は、授業、休み時間、授業、休み時間の繰り返しです。午後は、給食、清掃、昼休み、授業があります。授業は学習指導要領に沿って行われています。

休み時間は次の授業の準備がほとんどです。私の学校では、宿題が学校で統一されています。音読カード、ベネッセの漢字ドリル、ベネッセの計算ドリル、月曜日だけフライデーの宿題も提出されます。休み時間は、次の授業の準備をしながら、音読カードとドリルの確認で全てが奪われる計算です。休憩時間も奪われることになります。

しかし、その休憩時間にも別な仕事が入ってきます。体育関係、特別活動関係の仕事がよく入ります。休憩時間の確保は、労働基準法により義務付けられていますが、ほとんど守られていません。私の38年間の教員生活で守られていた学校は一つもありませんでした。詳細については、訴訟の中で詳しく行います。

給食中は無言配膳を子供たちに指導します。それは学校長の指示です。これはけっこう大変な仕事です。清掃中も無言清掃を指導することを学校長から指示されています。給食指導中や清掃指導中に教員が自分の仕事をする時間はありません。 

私たちが自分の仕事に取り掛かるのは、児童が帰った後の1時間しかありません。その1時間の中に休憩時間が30分入っているのですから、休憩時間も含めて仕事を続けることが余儀なくされます。

●残業に対してはきちんと残業代を

学校長は時間外勤務を命じることはできないと法律で明記されています。学校長が命じているのは勤務時間中ですが、私たちが指示された仕事に取り掛かるのは勤務時間外になるのです。このことは訴訟の中で具体的に例をあげながら詳しく説明したいと思っています。

学校長は勤務時間に終わらない仕事を山ほど出しています。それをどうにかやっている教員に、自主的にやっているというのはおかしい話です。

学校長の権限強化や人事評価制度の導入など、様々な理由により、今や教員の仕事の自主性は失われています。教員には、学校の仕事を精選する権限もありません。逆にいくら仕事が増えても給与は同じです。最近の教員は、意見を言うこともできなくなりました。

働き方改革が叫ばれている今こそ、教員の仕事を明確にし、残業に対してはきちんと残業代を支給し、労働時間を減らす方向に持っていくことが、求められていると思います。

私のやっている今の時間外勤務の仕事は、残業代を出すことに値しないのかを、裁判所をはじめ全国の皆さんに問いたいのです。

(弁護士ドットコムニュース)

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