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耳元で「東大に行け」と怒鳴り続け、「医者になれ」と娘を暴行…弁護士が見た「教育虐待」エスカレートする親たち
坪井節子弁護士(2019年9月、弁護士ドットコム撮影)

耳元で「東大に行け」と怒鳴り続け、「医者になれ」と娘を暴行…弁護士が見た「教育虐待」エスカレートする親たち

愛知県名古屋市で父親が小学6年生の息子を刺殺した事件(2016年)を機に、「教育虐待」への関心が高まっている。「なぜこんな簡単な問題が解けないの」「この問題ができるまで、ご飯は抜き」――。親が強制する勉強に、心の中で悲鳴をあげる子どもたち。

親の言葉に傷ついても、多くの子どもたちは親や家から逃げ出せない。そして親は「子どものため」にと大義名分を掲げるために、エスカレートしてしまう実態がある。

子どもの人権を守るために30年以上、活動している坪井節子弁護士に、教育虐待の実態や弁護士たちの取り組みについて聞いた。(ルポライター・樋田敦子)

●1986年当時「虐待」という言葉はなかった

教育虐待が背景にあるとみられる事件は、過去にも複数、起きている。1980年には、男子予備校生が、両親を金属バットで殺害する事件が発生した。父親は東大出身で、大学受験をめぐって対立していた。

2006年には、奈良県の有名進学校に通う男子高校生が、家に火を放って継母と弟妹を焼死させている。背景には、日ごろから成績に厳しかった父親に対する恨みがあったとも報じられた。

「子どものために」という親の考えの下、痛ましい事件は繰り返し起きている。

坪井さんが子どもたちの人権問題に向き合い始めたのは、1986年のこと。東京弁護士会が「子どもの人権110番」で電話相談を始め、翌年「子どもの人権救済センター」を開設し面接相談を行った。その相談員として、誰にも言えない悩みを抱え、ひとりで苦しんでいる子どもたちの声を聞き始めたことが、きっかけとなった。

「当時は虐待という言葉はなく、子どもからの相談内容は、学校トラブルが中心でした。学校の管理教育、教師の暴力や校則の厳しさ、丸刈り強制、そしていじめ。遺書を残して亡くなったいじめ自殺も話題になった時代でした。

そして登校拒否と呼ばれていた不登校の問題もありました。電話相談があまりにも深刻で、電話相談だけでは対応できないので、面接相談も始めたのです。いじめの実態も知らなかった私には、寄せられる相談内容にショックを受けました」(坪井弁護士)

●「せっかん」から「虐待」に

「虐待」という言葉が使われ始めたのは1990年代以降のことだという。それまで「子殺し」は、「育児ノイローゼ」や「せっかん死」と言われ、親側からの視点で語られることが多かった。「あの人かわいそうね、育児ノイローゼになって子どもを殺したのね」「しつけが行き過ぎて、せっかんして殺した」などと言われていた。

「日本では、自分の子どもだから、子どもをどうしようと親の勝手でしょう、という考え方や、他人の家のことには口を出さない風潮がありました。90年代に入って、やっと子どもの側からの視点で子殺しを見るようになり『児童虐待』と言われるようになったのです。昨年の児相への通報件数は約15万件にのぼりましたが、当時は1000件未満でした」(坪井弁護士)

●「祖父の性虐待から逃れたい」

1994年、日本は国連子どもの権利条約を批准した。これを機に坪井さんら有志の弁護士は、1年に1回、子どもたちの権利侵害の様子を演劇にして、社会に知らせようとした。

それが『もがれた翼』だ。実際に起こった事件をもとに、坪井さんら弁護士が脚本を書き、弁護士と高校生が演じた。そのお芝居は今年(8月開催)で26回目を数えている。『もがれた翼』を通じて、今晩帰るところのない子どものためのシェルターの必要性が訴えられ、多くの人々の協働により、2004年に「カリヨン子どもセンター」(東京都内)が開設された。

この15年間で430人以上が避難してきた。「親から暴力を受けている」「祖父の性虐待から逃れたい」「行き場がない」ーー。相談は多岐に渡った。

「小さな子には児童相談所の一時保護所などの避難場所があります。ところが、10代後半になると逃げる場所がなくなってしまうのです」(坪井弁護士)

●教育虐待から逃れてくる子どもたち

坪井弁護士が、子どもの一時避難の居場所を作る必要性を感じたのは、それまでの活動で出会ってきた様々な子どもたちの“現実”からだが、子どもの人権110番にも、次のような電話があった。

「その子は、父親から暴力を受け家出し、電話相談をしてきました。そこで“児相に行き事情を説明してごらんなさい”と伝えたのです。保護をしてもらえるだろうと考えました。ところが、児相で〝キミが悪いんじゃないのか“と説教され、落胆してまた私に電話してきました。最終的には彼女は”自分でなんとかします“と電話を切ったのですが、15歳を過ぎた子が虐待されているといっても信じてもらえなかった」(坪井弁護士)

当初、帰る場所がなく、非行に陥りそうな子どもたちが多く避難してくるだろうと予想していたシェルターだったが、そうではない子どもたちの避難もあった。

「シェルターを設立した初期の頃から、教育熱心な親から虐待を受けていて、そこから逃げてくる子どもたちの相談を受けていました。中学生も高校生もいて、それを教育にかかわる虐待、教育虐待とカリヨンの内部で呼んでいたのです。虐待を受けていた当事者の子どもたちばかりではなく、それに気づいた周囲の人たちからの相談も受けました」(坪井弁護士)

●「あんなに立派な家で、立派なご両親なのに」

ある日、中高一貫の有名私立中学の校長先生がシェルターに連絡をしてきた。「中2の生徒が両親から教育虐待に遭っていて、なんとか逃がしたい」という相談だった。

女子生徒は両親から常に監視され、GPSを持たされていて、学校帰りにどこにも寄れない。それが家のルールだった。門限は午後6時。1分でも過ぎると、両親からのお仕置きが待っていた。殴る蹴るの暴行、縛られて室内に放置されるなどのこともあったという。

女子生徒は学校の教師に相談した。校長の知るところとなり、相談にきたのだ。

児童相談所に通報したが、「あんなに立派な家で、立派なご両親なのにーー」と、最初は信じてもらえなかったという。やってきた女子中学生は、カリヨンからの虐待通告により、児童相談所の一時保護の決定を受け、カリヨンへの一時保護委託となった。

さらに弁護士がついて児相の福祉司とともに両親を訪問し、親子関係の調整がはかられた。その後は両親がファミリーカウンセリングを受け、女子中学生はやっと家に戻ることになった。

「ご両親は外に知られるのを嫌がっていたので、カウンセリングを受けてもらいました。結果、良好だと判断され、親元に帰ることになりました。校長先生がとても良い方だったので救われました。親はみな、教育のためしつけのためにやったと言います。虐待しているという意識がないのです。明らかに身体的、心理的な虐待なのに、それに気づかない」(坪井弁護士)

●医師の父、娘に「医師になれ」と殴る蹴るの暴行

医学部を目指して予備校に通っている女子浪人生(18歳)から「進路を強制されている」という相談があった。父親は医師。彼女は薬剤師になりたいのだが、それを父に言うと殴る蹴るの暴行をしてくるのだという。

「児相に通告しても一時保護できない年齢なので、担当の弁護士が両親に接触しました。医学部を強制することは、心理的な虐待ですよ。今後もこれを続けるようなら法的な措置も取り、そうすれば親権停止ということもあり得ます、そう説得しました。

父親は地元では名士ですから世間体もあるので、父親が折れました。彼女は地元には帰らないと、頑としてはねのけ、親が訪ねてこないように転居もしました。その費用、大学の授業料、毎月の家賃などを親に出させるように粘り強く交渉しました。典型的な教育虐待でした」(坪井弁護士)

●「東大に行け」耳元で怒鳴り続ける

母親から教育虐待をされた女子高校生も、学校の教師経由でシェルターにやってきた。

「私は別の大学に行きたいのに、母親は東大に行けと言ってききません。ひどいときは、耳元で2時間以上も怒鳴り続けます。椅子を蹴飛ばして怒るので、私はあざだらけ。父親は、そんな様子を知っているのに、見て見ぬふりをします」

「親の言うことが聞けないならば出ていけ」と言われて家を出てきたという。

とりあえずシェルターに収容し様子を見ることにしたが、親に一度もほめてもらった記憶がない少女は大人を信じない。むしろ優しくしてくれる職員を自分の思うままにコントロールさえしようとした。

「事情をお母さんに告げると、非常にショックを受けていました。“この子が幸せになるためにと思って、私自身も死ぬほどつらい思いをしてきたのに……”と。結局、お母さんは自分が家を出るので、娘に家に戻ってほしいと希望し、彼女はお父さんとおばあちゃんのいる家に帰っていきました。

お母さんは、自分が虐待をしているということが分かっていません。ただこの子のために、と思う一心で起こした行動でした」(坪井弁護士)

●「子には子の人生がある」

「この子のために」「将来幸せになるために」の思いで繰り返されてきた教育虐待。「あなたのためよ」は「親の言うことが聞けないの」になり、「そんな態度ならばご飯を抜くよ」と虐待にエスカレートしていく。親と子が支配と服従の構造になっていくのだ。

それを防ぐためには、親が変わらなければならない。「子どもと大人(親)が対等のパートナーとなることが必要だ」と坪井弁護士は話す。

「一緒に悩んだり泣いたりしながら、最善の道を探すこと。そういうこともしないで、弱虫、こんなこともできないと放り出すのは、パートナーではありません。

この子には自分の人生があり、自分の人生を選んでいくもの。小さいうちは、一緒に決めても、大きくなれば自分で決める。たとえ決めた道で失敗しても、自分で歩いていけるように情報提供して助言する。こういう姿勢が必要です。強制してはいけないのです。

子どもには、あなたはやりたいことをやり、言いたいことを言える権利がある、と常に伝える。権利があると言っても、子どもが増長して、親の言うことをきかなくなる、ということはありません。親に子どもの意見を聞く覚悟があり、お互いの声に耳を傾ければ、教育虐待は防げます」(坪井弁護士)

あなたはひとりの人間として大切な存在。これを親の側が尊重することが大事だ。親権は親の権利ではなく、未成年の子どもの権利を実現する、むしろ親の義務だというとらえ方をすれば、子どもの幸せを追求できるのではないだろうか。

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