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死刑廃止論で見かける「日本に死刑執行のない時代が350年もあった」ってホント?
戸川点『平安時代の死刑ーなぜ避けられたのか』(2015年)吉川弘文館

死刑廃止論で見かける「日本に死刑執行のない時代が350年もあった」ってホント?

死刑存廃をめぐる議論がつづく中、国際的には死刑を廃止する動きにある。公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本の報告書によれば、「106カ国がすべての犯罪において死刑を廃止し、142カ国が法律上あるいは事実上、死刑を廃止している(2017年末時点)」という。日本で2017年に執行された死刑の件数は4件であり、2018年はオウム真理教関連の死刑執行があったため、すでに前年を大幅に上回る件数が執行されている。

日本の死刑制度は古代からあり、律令刑法にはもっとも重い刑罰として死罪の規定が置かれていた。しかし、日本で死刑が執行されなかった期間がおよそ350年間あるという。

死刑が執行されなかった期間があることは多くの文献に書かれており、多数引用されている。たとえば、日弁連による「日本において国連犯罪防止刑事司法会議が開催される2020年までに死刑制度の廃止を求める要請書」にも、「死刑は、古くからの日本の不易の伝統ではない」と執行されなかった期間のことについて言及されている。また、刑法学の第一人者であり、死刑廃止論者でもある故・団藤重光氏の著書『死刑廃止論第4版』(1995年)にも記述がある。

編集部では死刑執行のない時代について、さまざまな文献を調査してみた。

●死刑制度はあったが、死刑「執行」がなかった

ときは平安時代、嵯峨天皇の時代にさかのぼる。死刑が執行されなかったといわれている期間は、810年(弘仁元年)の薬子の変において藤原仲成が処刑された後から、1156年(保元元年)の保元の乱で源為義らが処刑されるまでの約350年間だ。

ただし、法令によって、死刑制度そのものが廃止されたというわけではない。つまり、死刑の規定は置かれたまま、朝廷によって死刑が執行されなかったということだ。

これは、天皇が特別の命令を出して刑を一等減軽するという慣例が続いたためだ。本来死刑となるはずの受刑者は、つぎに重い刑罰である流刑に処せられていた。

●背景には、穢れの忌避、因果応報や怨霊への恐怖など

天皇はなぜ死刑を執行しなかったのか。この理由については諸説あるが、利光三津夫氏の論文「平安時代における死刑停止について」(1962年)によれば、主に(1)「死」が穢れだと考えられていたこと、(2)仏教思想の影響、(3)怨霊に対する恐怖があったことが指摘されている。

(1)「死」が穢れだと考えられていたこと

神事に携わる者は「血」という言葉を口にすることさえ禁じられていた。死刑の方法には主に「斬刑(斬首)」と「絞刑(絞首)」があったが、「斬刑」の場合は出血を伴うために「血」の穢れとして嫌がられていたという。そこで、死刑を執行した者は、肉や魚を食べることを慎むなど心身を清めるための潔斎をしなければ、公務に従事することが許されなかった。潔斎をしなかった場合は神の怒りによって災厄がくだされると信じられていた。

(2)仏教思想の影響

仏教思想には「因果応報」という考え方がある。人を殺した者、つまり死刑を執行した者には、それなりの応報がもたらされると考えられていた。そう考えるならば、死刑執行を避けたいと思うのは当然だろう。

(3)怨霊に対する恐怖

平安時代では天災が起きるのは怨霊の仕業だと考えられ、人々は怨霊に対して恐怖を抱いていた。「陰陽師」という職業があったことを知る人も多いだろう。怨霊の祟りから身を守るためにできることは、他人の怨みを買わないことだ。死刑を執行すれば、怨霊に祟られると考えられていた。

●国司による死刑執行はおこなわれていたという指摘も

約350年間、「天皇の裁可による死刑」は執行されなかった一方で、実態としての「死刑」はおこなわれていたと書かれた文献がある。それが、2015年に出版された戸川点氏の著書『平安時代の死刑ーなぜ避けられたのか』だ。

たとえば、当時大きな権限を持っていた国司による死刑執行はおこなわれていたという。また、死刑ではないが、当時の官人である検非違使による「肉刑」などの刑罰もおこなわれていた。これは、手や足を切るという刑罰で、結果的に罪人を死に至らしめるものであった。

ほかにも、戦乱の際に死刑はおこなわれていたと考えられている。たしかに、時代劇では戦乱で討ち取った敵の首をさらすシーンがよく描かれる。このような合戦における斬首やさらし首は刑罰ではないと否定する説もあるが、国家に対する反乱鎮圧のための公戦であれば、事実上は死刑と変わらないだろう。

このように、実態としての死刑は継続しておこなわれていた。

●藤原仲成の死刑は天皇が渋々「復活」させた

では、なぜ1156年の保元の乱で死刑が復活することになったのか。これは王権の強化や体制の安定を図るために、当時の貴族である信西(藤原通憲)が後白河天皇に死刑の命令を提案したためだという。後白河天皇は、死刑を命じることにより、穢気が満ちることをおそろしいと感じていたため、渋々死刑を命じたのである。

その後も貴族の間で死刑が忌避される一方で、武士の間では実態としての死刑が当然のようにおこなわれていたという。

「死刑執行のない時代があった」

これまでの歴史研究の成果を見る限り、ある意味では正しく、ある意味では正しくないともいえるだろう。

<参考文献>

・団藤重光『死刑廃止論第4版』(1995年)有斐閣。

・戸川点『平安時代の死刑ーなぜ避けられたのか』(2015年)吉川弘文館。

・利光三津夫「平安時代における死刑停止について」『法学研究』35巻9号(1962年)慶応義塾大学法学研究会(編)18-34頁。

(弁護士ドットコムニュース)

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